CCCD 顛末

目次

CCCDとは

CCCD(コピーコントロールCD)はパソコンによるデジタルコピーを妨害することを目的に、一部のレコード会社が販売した著作権保護機能付きの音楽ディスクのこと。 CCCDを発売したレコード会社は「ほとんどのCDプレーヤーで正常に再生できる」と謳っていたが、CCCDは「Red Book(※1)に準拠した正規のCD」ではなく、再生機器のメーカー側は正常な動作を保証していない。

ソフトとハードの両方を取り扱うソニーは2003年の春頃には

『最近販売されている<著作権保護技術付きディスク>には、CD規格に準拠していないものもあり、そのようなディスクについては、当社のCDプレーヤーやパーソナルコンピュータでの動作・音質を保証できません。』(※2)

と宣言していて、その後もCCCDに対応する再生機器などの販売は行っておらず、CCCD販売との整合性が取れない対応に終始した(ソニーがCCCDを採用すると発表したのは2002年11月)。

国内最初のCCCDは2002年3月13日にエイベックス・トラックスから発売されたBoAのシングル「Every Heart -ミンナノキモチ-」。 東芝EMIが2006年6月まで独自規格のCCCD「セキュアCD」を販売していて、国内盤のCCCDが販売されたのはそのあたりが最後と思われる。

佐野元春が当時所属していたレーベル「Epic Records」を傘下に置くソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)は、エイベックスや東芝EMIに追従する形で2004年1月以降に発売されるSMEグループの全CDをネットワーク認証型の独自仕様CCCD「レーベルゲートCD2」とする方針を取った。 しかし、実施からわずか1年足らずでこの方針は撤廃されることになり、SMEグループがCCCDで発売した約799作品のうちの295作品はその後に店頭から密かに回収されて新品番の通常の音楽CD(CD-DA)に置き換えられた。 佐野がリリースしたCCCDのマキシシングル「君の魂 大事な魂」と「月夜を往け」はCD-DAで再発売されていない。

CCCDの仕組み

CCCDは1stセッションと2ndセッションという二つの記録部分で構成される。 記録面の内周側に1stセッションがあり、外周側に2ndセッションが配置されている。 セッションが複数というのはBlue Bookで規格化された「CD Extra」を応用している。 なお、CD-DAは1stセッションのみで構成される。

1stセッションには民生用オーディオ機器(一般的なCDプレーヤーやミニコンポなど)で再生されることを期待して、通常の音楽CD(CD-DA)と同じフォーマットのリニアPCM形式の音楽データが収録されている。 収録の際にわざとエラー信号をふんだんに盛り込むことでパソコンでは読み取り不可の状態にすることを狙うが、CDプレーヤーではエラー訂正機能が働いて再生や音質に支障が出ないことになっている。

2ndセッションにはパソコンで再生するためのDRM(デジタル著作権管理)付き圧縮音源(たいていはマイクロソフト社のWMA形式)と、それを再生するためのプレーヤーソフトが収録されている(※3)。 パソコン用のデータなので一般のオーディオ機器はこの部分を再生することはできない。

CCCDをCDプレーヤーに入れた場合の挙動

レコード会社によってCCCDの仕様が微妙に異なるので、「A社の方式のCCCD」が再生できたCDプレーヤーがあったとしても、そのCDプレーヤーで「B社の方式のCCCD」が再生できるとは限らない。 同じレコード会社でも発売時期によってCCCDの仕様が異なる場合もある。

CDマーク
Red Book準拠の音楽CD(CD-DA)に付与されるコンパクトディスクロゴマーク。CCCDにはこのマークが無い。

国内で正規に販売されているCDプレーヤーであれば、再生可能なディスクについてその種類が取扱説明書に記載されている。 もともとCDプレーヤーは、CCCDに限らず「コンパクトディスクロゴマークが印刷されていない音楽ディスク」は規格外と看做して再生や音質を保証しないのが普通だが、大手のレコード会社から不意に大量の規格外品(つまりCCCD)が発売されたことで、国内の主要なオーディオメーカーはあらためて専用ページを設けたり取説に追記する形でCCCDの再生や音質を保証しないと念押ししている。 ※下記リンクは最近作成されたページも含む

オンキヨー クラリオン ケンウッド シャープ ソニー TEAC DENON パイオニア パナソニック マランツ ヤマハ

TDKが2002年当時に販売していたポータブルMP3/CDプレーヤー「MOJO CD-MP1215」は次のような宣伝文句を製品紹介ページに載せてCCCD対応を謳っていた。

コピーコントロールCD(CCCD)再生対応*
*2002年3月までに発売されたCCCDで確認したもので、今後発売されるCCCDの再生を保証するものではありません。

2002年3月までに発売された国内盤のCCCDはエイベックスからの3タイトルだけで、TDKはその3タイトルで検証を行ったものと思われる。 CD-MP1215はWMAの再生には対応していないので、2ndセッションではなく1stセッションのリニアPCMが問題なく再生できたということのようだ。

CCCDを販売したレコード会社の言う通り、CCCDはほとんどのCDプレーヤーで再生できるのだが、それは飽くまでも規格外の特殊なディスクがたまたま再生できたというだけに過ぎない。 CCCDを販売したレコード会社の側で、たとえば「◯◯社のオーディオコンポでは再生できない」とか「△△社のCDプレーヤーなら問題無く再生できる」というようないわゆる「動作確認リスト」を提供をしていたところは無かった。

CCCDをパソコンに入れた場合の挙動

CCCDは1stセッションのリードインエリアに故意に不正な値が記録されていて、パソコン用の光学ドライブでは1stセッションを無視して2ndセッションを読みに行くように仕向ける。 しかし、実際にどういった挙動になるかはまちまちで、レコード会社の期待通りの動作をしない場合も多い。

1stセッションを普通に読み込んで通常の音楽CDと同じように再生してコピーもできてしまったというケースや、1stセッションも2ndセッションも読み込めずに「I/Oデバイスエラー」になるケース、あるいはシークを繰り返したのちにディスクが認識される時とされない時があるなど、様々なケースがネット上に報告されていた。

前提としてCCCDが対応するOSはWindowsのみ(※4)である。 SMEのレーベルゲートCD及びレーベルゲートCD2はWindows XP止まりで、2006年リリースのVistaとそれ以降のWindows OSには対応していない。

レコード会社の期待通りに1stセッションを無視して2ndセッションを読み込むことができたなら、そこに入っている専用のプレーヤーソフトを起動することで2ndセッション内の圧縮音源(曲目は1stセッションと同じ)を再生することができる。 CD-Rへのコピーはできない。

レーベルゲートCDの場合、2ndセッション内の圧縮音源をパソコンのHDDにコピーができる他、ウォークマン(カセットやMDのウォークマンではなくメモリースティックウォークマン)への転送も可能。 管理ソフトがHDDやウォークマンへの転送回数をカウントして、上限に達したらそれ以上は転送ができないという仕組みになっている。 HDDやウォークマンへの転送の際にインターネット接続が必要で、ソニーのサーバでHDDやウォークマンへの曲の出し入れ情報(チェックイン・アウト)が一元管理される。

レコード会社がCCCDを必要とした理由

インターネット
世帯普及率
携帯電話
人口普及率
※PHSは除く
CD生産枚数
シングル+アルバム
CD等
音楽ソフト
の売上
※デジタル配信は除く
19976.4%16.7%4億5713万9千枚5880億円
199811.0%25.0%4億5717万3千枚6075億円
199919.1%32.8%4億2674万3千枚5696億円
200034.0%40.4%4億1405万2千枚5398億円
200160.5%48.0%3億6862万6千枚5031億円
200281.4%54.3%3億2867万9千枚4815億円
200388.1%59.4%3億1526万7千枚4562億円
200486.8%63.9%3億0225万5千枚4313億円
200587.0%68.1%3億0180万3千枚4222億円
200679.3%71.8%2億9025万2千枚4084億円
:::::
201485.6%112.5%1億7038万3千枚2542億円

理由その1 ─ 違法コピー違法ダウンロード対策

レコード会社が最も頭を悩ませていたのは、00年代初頭から世界的に大流行(※5)したNapsterやWinMX、Gnutella(LimeWire)、WinnyなどのP2Pファイル共有ソフトであったろう。 パソコンの性能が向上してリッピングやMP3エンコードが短時間で可能になったり、常時接続で高速なインターネット通信のADSLサービスが始まったのもこの頃だった。 まだ動画を楽しむというほどにパソコンは進化しておらず、音楽ファイルの共有であれば多くのユーザーが参加できるという状況でもあった。

P2Pファイル共有ソフトを使えば有名アーティストのアルバムはほとんどすべてが簡単に「共有」(言い換えれば「泥棒」)できていた。 海外では訴訟が起こされ、国内では開発者や利用者が著作権法違反で逮捕されたりしたことも話題になった。 CDの売上は1998年を境いに急激な減少傾向が続いていて、一部のレコード会社はその主な原因はCD-Rへの違法コピー(※6)とP2Pファイル共有ソフトによる違法ダウンロードであると睨んだ。

しかし、レコード会社がCCCDを推し進めようとする中で、CDの売上の減少は人々の趣味の多様化でお金の使い道が変わったのが原因だとする指摘がIT評論家や音楽評論家の間に多くあった。 上記リンクのインタビューでエイベックス関係者も触れているが、携帯電話の人口普及率が2000年に40%を、2002年に50%を超え、その料金の支払いに取って代わられたという意見が多く、たとえ違法コピーや違法ダウンロードを根絶できたとしても人々が携帯電話の使用をやめて再びCDの購入にお金を回すようになることはあり得ないと言われていた。

理由その2 ─ CD-DA関連技術の特許切れによるビジネスチャンス

CCCDはレコード会社が共同戦線を張って協力しながら展開していたものではなく、次の主導権を誰が握るかを決めるための企業同士の熾烈な競争という側面もあった。

音楽CD(CD-DA)はソニーとフィリップスによって1980年に規格化されたが、20年経った2000年頃に関連特許が軒並み切れることになる。 ソニーとフィリップスは次の標準規格必須特許のライセンスを他社に渡さないようにと1999年に次世代規格のSACD(Super Audio CD)を規格化して推進していたが、世界中にあまねく普及してしまったCDとCDプレーヤーの需要が無くなるはずもなく、ソフトもハードも置き換えは全くと言っていいほど進まなかった(※7)。

やがて、特許使用料を払う必要がなくなったCD-DAの関連技術に無理やり著作権保護機能を組み合わせて新しい標準規格を創り出そうとする動きが他のレコード会社で起こり、各社がバラバラに独自仕様を打ち立て始めたため、CD-DAの規格を一番に守らなければならないはずのソニーでさえもCCCDに参戦せざるを得ない状況になっていった。

国内でCCCDを発売したレコード会社すべてが採用した1stセッション部分の方式「CDS-200」と「CDS-300」を開発したのは「Midbar Tech」というイスラエルの会社で、CDに付加する著作権保護機能はそういった新興のIT企業にとっても大きな可能性を秘めたビジネスチャンスであった(※8)。

理由その3 ─ CCCDとインターネット音楽配信の関係

その3はソニーだけの特別な事情である。

CCCDを採用したレコード会社はインディーズを含めて11社だったが、CCCDに収録されるパソコン用のDRM付きの圧縮音源(2ndセッション用の音源)は、後発のソニーのレーベルゲートCDだけがATRAC3形式を採用して、その他のレコード会社はWMA形式を採用している。 ATRAC3はソニーが作った規格で、1999年に開始した自社レーベル専門の音楽配信サービス「bitmusic」(※9)と、それに合わせて発売された「メモリースティック ウォークマン」のために開発されたものだった。

「レーベルゲート」はもともとは2000年に設立された、音楽配信サービス用のプラットフォーム(配信システム)を提供する会社の名前で、CCCDとは何も関係がなかった。 当時、ソニーを中心にエイベックスやポニーキャニオンなど10社が出資、2社が参画を予定しており、配信方式はソニーの肝煎りでレーベルゲート方式(会社設立当初はATRAC3 + MicrosoftのWMDRM、あるいはATRAC3 + IBMのEMMS)を採用していた。 しかし、レーベルゲート社に出資したソニー以外のレコード会社のほとんどがこの頃はまだ「レーベルゲート方式は数あるプラットフォームの中のひとつ」としか考えていなかったようで、ATRAC3だけを推し進めて世界標準にしたいと目論むソニーとは温度差があったようだ(※10)。

2017年現在、音楽配信サービスと言えば音楽配信をする会社があって、各レコード会社がそこに音源を提供してサービスが行われるというのが一般的だが、2000年頃は逆で、レコード会社の側が自社レーベル用に自前でドメイン(配信サイト)を用意して、そこにマイクロソフトやIBM、そしてレーベルゲート社などがプラットフォームを提供するという、いわゆる「レコード会社直営型」が多く試されていた。 ほとんどのレコード会社が複数のプラットフォームを採用したのは、その頃に販売されていたシリコンオーディオが、機種によって対応するファイル形式がバラバラだったからである。

2000年前後に始まった最初期の主なインターネット音楽配信サービス (配信方式はサービス開始当初のもの)
事業者サービス名サービス開始Microsoft WMT方式
WMA + WMDRM
レーベルゲート方式
ATRAC3 + WMDRM
or
ATRAC3 + EMMS
その他の方式
ミュージック・ドット・ジェイピーmusic.jp1997年4月MP3
ソニー・ミュージックダイレクトbitmusic1999年12月
三洋電機(電機メーカー)SOUND BOUTIQUE2000年4月LiquidAudio
エイベックスネットワークス@MUSIC2000年4月
2002年7月から
LiquidAudio
クラウンCROWN MUSIC ONLINE2000年4月
バップVAP WEBMUSIC2000年4月
ニフティ(プロバイダ)@nifty MUSIC WEB - Digital Music Store2000年6月
  • LiquidAudio
  • InterTrust
BMGファンハウス(HMV・新星堂・すみや・タワレコ・山野楽器と協力して販売)2000年7月LiquidAudio
ポニーキャニオンcan-d.com2000年7月EMDLB
2001年4月から
キングレコードK Music2000年7月
徳間ジャパンコミュニケーションズem-colle!2000年7月
ビクターエンタテインメントna@h!2001年1月
2001年4月から
EMDLB
2001年4月から
東芝EMIdu-ub.com2001年2月LiquidAudio
フォーライフレコードPARADISE MUSIC2001年4月
ユニバーサルミュージックMusic to U2001年12月

インターネット上に正規にダウンロードで音楽が買える場所が無いから違法ダウンロードが横行しているという意見もあり、レコード会社にとってオンライン販売システムの構築は急務であったが、初期のインターネット音楽配信は「ノンパッケージの割に安くない」「タイトルが少ない」「欲しい曲がどこで買えるのか判りにくい」「会社ごとに登録を求められて面倒」「管理ソフトが使いづらくDAPへの転送ルールも理解するのが難しい」などの理由で売れ行きはどこも芳しくなく、ビジネスモデルとして確立されるにはまだ相当に時間が掛かりそうだった。 そんな状況の中で、CCCDはインターネット音楽配信との兼ね合いをじっくりと突き詰めないまま見切り発車で始まる。

前述の通り、ソニー以外のCCCDはマイクロソフトのWMAとセットで運用されることになった。 ソニーはレーベルゲート社を設立してATRAC3陣営の囲い込みにひとまず成功し、さぁこれから地固めという時に突然「ソニー系以外のアーティストのCCCDはパソコン用音源がWMAだからウォークマンに転送することができない」というどんでん返しな危機的状況を突きつけられてしまう。 当時のウォークマンはATRAC3専用機でMP3にすら対応していなかった。

技術的にはウォークマンをDRM付きWMAに対応させることは難しくなかったはずだが、そうするとCCCDのデフォルトはWMAと認めてしまうことになり、ATRAC3を世界標準に押し上げるという夢が潰えてしまうのでそれはできない。 さりとて、他のレコード会社に「CD-DAの仕様から逸脱している規格外ディスク(CCCD)を出すな」とも言えない。 特許の切れたCD-DAを改造したいのであればそれは自由だし、レーベルゲート社に出資しているレコード会社とは揉め事を起さずに良好な関係でいたかったはずだからだ。

ソニーが他社のCCCDを追いかけるように「レーベルゲートCD」を始めたのは、レーベルゲートCDの採用を他のレコード会社にも呼びかけて、少なくともレーベルゲート社に出資をしている会社にはCCCDの圧縮音源をWMAからATRAC3に切り替えてもらいたいという思惑があったものと思われる。 「レーベルゲートCD」と名付けたのは各レコード会社に対して「CCCDをやるならレーベルゲート方式で足並みを揃えよう」というメッセージを込めたものだったのだろう。

折しも、2001年にアップルが発売した「iPod」(※11)が世界中を席巻し、音楽管理ソフト「iTunes」の使い勝手の良さがWindowsユーザーの間でも評判になっていた頃だった。 アップルが2003年(日本版は2005年)に開始した音楽配信サービス「iTunes Music Store」で採用したDRM付きのAAC形式はソニー側のサービスとはお互いに互換性が無く、アップルとソニーは自分たちのサービスにどれだけたくさんのユーザーを呼び込むかで激しく競い合っていた。

アーティスト側の動向

CCCDを採用した
レコード会社
運用状況
エイベックス2002年3月に最初のCCCDを発売。以後、委託を含めたすべてのレーベルで積極的に採用。2004年9月に今後は弾力的に運用すると発表。徐々にCCCDタイトルは少なくなり2005年9月に発売されたのが最後と思われる。
東芝EMI2002年5月に最初のCCCDを発売。以後、すべてのレーベルで積極的に採用。2005年8月より新しい方式のセキュアCDを導入。2006年5月頃を最後に撤退した模様。
ポニーキャニオン2002年7月に最初のCCCDを発売。一部のレーベルで積極的に採用。2005年4月の発売が最後と思われる。
ワーナーミュージック2002年6月に最初のCCCDを発売。導入はしたが実際にリリースされたタイトル数は少なく、おそらくは10未満。2003年2月を最後に発売がないと見られるが、2005年1月31日に正式に撤退を発表。
ユニバーサルミュージック2002年8月にシングル1作品と2002年11月にアルバム1作品、合計2作品に導入。当時はビクターエンタテインメントが配給を担当していた。
ビクターエンタテイメント2002年11月に最初のCCCDを発売。弾力的な運用で、プロデューサーやアーティストが拒否すれば回避はできた模様。タイトル数は70前後。2004年8月の発売が最後と思われる。
テイチクエンタテインメント2002年12月と2003年10月にそれぞれアルバム1作品、合計2作品に導入。
キングレコード2003年1月に1作品にのみ導入。
フォーライフミュージックエンタテイメント2003年6月に最初のCCCDを発売。一時期に一部のアーティストで積極的に採用したがタイトル数としてはそんなに多くはなく30前後と思われる。2004年5月の発売が最後と思われる。
ソニー・ミュージックエンタテインメント2003年1月から委託を除いた全レーベルのほぼすべてのマキシシングルに導入。2004年1月から委託を除いた全レーベルのほぼすべてのアルバムにも導入。シングルとアルバムを合わせて799タイトルのCCCDを発売。2004年9月に撤退を発表。2004年11月17日の発売分からCD-DAに変更。

SME・エイベックス・東芝EMIという国内3大レコード会社が積極的かつ広範にCCCDを採用したことで、この動きが他のいくつかのレコード会社にも波及。 2002年から2005年に掛けて、メジャーレーベルに所属するアーティストのうち相当数がCCCD問題に直面したと思われる。 その中で、CCCDは音質的な問題があって採用できないとしたアーティストは山下達郎、浅倉大介、阿部義晴、宇多田ヒカルなど。 違法コピーを食い止めるために導入はやむを得ないとしたのは吉田美奈子やテイ・トウワなど。

いずれにしてもCCCDに関心を寄せ、それについて音楽リスナーに説明する必要があると考え、実際に思うところを語ったアーティストは極めて少数だった。 突然現れたCCCDの意味を十分に理解できなかったアーティストは多かったと思われるし、そもそもレコード会社がどのような媒体を採用するかについて、自分たちが口を挟むべきことではないと思ったアーティストもいたかもしれない。

曽我部恵一は2003年のインタビューの中で、パーフェクトクローンも含めて楽曲データがコピーやダビングされることを全面的に肯定していて、そういう立場からCCCDは「イヤだ」と語る。

当初、許容できるものと表明していた奥田民生はその後に翻意して、CCCDを揶揄するアートワークなどで反対の態度を示した。

カーネーションはマネージャーとファンの間で応酬があり、騒動を収めるために直枝政広がBBSに書き込みする一幕も。

十数年経って再び唐突に怒りを露わにした岸田繁。 CCCD騒動で嫌な目にあったことへの恨みがまだ消えない。

アジカン後藤正文はデビューアルバムがCCCDという憂き目に。 当時、正直にファンに心中を告白し、十数年経って、岸田繁のツイートがきっかけでさらに詳しく当時の状況を説明している。

なお、SME系アーティストだけの話にはなるが、浅倉大介が会報に掲載したファンへの説明によると、SMEがCCCDを導入すると聞いて会社に説明を求めたアーティストは浅倉と奥田民生と後藤正文の3名だけだったそうだ。

CCCDはCDプレーヤーにダメージを与える?

CCCDを再生したらCDプレーヤーが壊れたという報告はインターネット上にいくつも上がったが、中には反CCCD派のプロパガンダもあったと思われる。 CDプレーヤーは通常の使用でもピックアップやドライブのサーボモーターにいずれ寿命は来るので、壊れたとしてもCCCDだけが原因と断定するのは難しい。 ただ、理論上、CCCDはCD-DAよりも多くのエラー訂正を要求するので、いくつかの部品に普段以上の負荷が掛かるのは事実であろう。 負荷の程度という話になれば、CDプレーヤーによってかなり差があるようだ。

CCCDを再生することで何か問題が起きても、CCCDを発売した会社とCDプレーヤーを製造した会社、いずれも責任を取らないとしているのでとりあえずは自己責任で再生するしかない。 今使用しているCDプレーヤーで特に問題が起きなかったとしても、次に買い換えるCDプレーヤーで正常な再生ができるとは限らない。 CCCDを所有する限りはそういう心配がずっと付きまとうが、リッピングしてパソコンに取り込んでしまえばCCCDに含まれるエラー信号は除去できるので、リスナー側の投資や努力でリスクを回避することは可能である。

リッピングはパソコンを使ってCD-DAから音楽データを抽出してHDDに保存する作業であるが、実はCCCDが出回り始めた直後から雑誌やインターネット上で、CCCDを無理矢理CD-DAと認識させてリッピングを行う詳しい手順が解説されていた。 Macintoshを含むPCユーザーのほとんどが普段通りのやり方か、あるいはパソコンの設定を少しいじる程度でCCCDから音楽データを抜き出すことが可能だった。

CCCDは光学ドライブへの依存度が高いとも噂され、安定してリッピングが可能な、あるいはリッピングに不向きな外付け光学ドライブのメーカー名や型番の情報交換がネット上で盛んに行われていた。

CCCDは音が悪い?

CCCDが販売されている期間は比較の対象となるべき同じタイトルのCD-DAが販売されていなかった(※12)ので、一般リスナーは同じCDプレーヤーで聴き比べるというような検証作業はやりようがなかったが、CCCDの制作に携わったミュージシャンの阿部義晴やプロデューサーの佐久間正英はCCCDは音質的に問題があると発信していた。

一方で、吉田美奈子奥田民生のように、聴き比べた上で「些細な音質の変化」「違和感なし」という意見もあった。

これについてもリッピングしてパソコンに取り込んでしまえばCCCDに含まれるエラー信号は除去できるので、リスナー側の投資や努力で音質を通常のCD-DAと同じにすることは理論上は可能である。

また、CCCDを採用した各レコード会社は常に音質改善に取り組んでいたようなので、もしCCCDの販売が続いていたなら、CD-DAが最初の頃に比べて音質がどんどん向上していったのと同じように、いずれはCDプレーヤーでの再生においてもCD-DAと比べて本当に遜色のないレベルに持って行けたかもしれない。

問われたレコード会社の姿勢

実際のところリスナーが反発をしたのは、CDの売上の減少をすべてリスナーの違法コピーのせいにして、真っ当にアーティストを支援したいという人たちまでをも犯罪者予備軍と決めつけ、再生できなくても返品や交換に応じないという免責事項を設けて自分たちはリスクを負わないというレコード会社の品性に欠ける姿勢に対してであった。 そして、「アーティストはファンに寄り添い、レコード会社と戦ってほしい」と期待したのがCCCDに反対の声を上げたリスナーの内心だった。

注釈

※1
Red Bookは音楽CD(CD-DA)の規格を定めた文書群の通称で、CDの発明企業でライセンサーであるソニーとフィリップスが他企業とのライセンス契約時に用いる。 コンフィデンシャルにより一般人は詳しい内容を知り得ない。 Red Bookに準拠したCDはあらゆるオーディオCDプレーヤーで再生できることになっている。
※2
この文言は2003年春以降に発売されたSONY製のディスクプレーヤー/レコーダー/オーディオコンポ/CDラジカセのカタログや取扱説明書に記載されている他、SonyDriveのウェブサイトのQ&A文書などでも公開されている。
※3
SMEの独自規格CCCD「レーベルゲートCD」は、あらかじめインターネット接続したパソコンで管理ソフトをダウンロードしておかないと再生ができないという仕様だった。 改良版の「レーベルゲートCD2」では専用の再生ソフトをディスク内に収録し、再生に限ってはインターネット接続環境がなくてもできるようになった(他のCCCDと同じになった)。
※4
CCCDが発売されていた頃はiPhoneやAndroidといったスマートフォンは存在せず、インターネット接続端末のほとんどがパソコンだった。 そのうちWindowsのシェアは90〜95%ほどを占め、世の中は「Windowsにさえ対応していればOK」という風潮で、Macintosh・Linux・ゲーム機などその他のインターネット接続端末はあらゆるシーンでほとんど無視されていた。
※5
P2Pファイル共有ソフトの国内のアクティブユーザーは2006年の調査で175万人(インターネット利用者の3.5%)と推計されていて、この頃がピークと見られている。 一般のPCユーザーの間では「P2Pファイル共有ソフトで流通するファイルはほとんどが違法なもの」と認識されていて、法やモラルに反するソフトに興味を示すべきではないと考える人はかなりいた。 また、P2Pファイル共有ソフト経由でコンピューターウイルスに感染してしまい、プラベート写真や顧客の個人情報を流出させてしまったというニュースが数多くあって危険を感じる人も多かった。
※6
CD-Rはかつては国産品しかなく1枚1,000円程度していたものが、1999年頃から台湾製品による価格破壊がはじまり、50枚スピンドルなら1枚あたり50円台というものが出回り始めて、書き込みが可能な光学ドライブとパソコンさえあればカセットやMDに比べて安くコピーができるという状況になっていた。 ただし、アルバムやシングルを他のメディアにコピー(ダビング)するという慣習はアナログレコードの時代からあるもので、CD-Rが登場してその割合が極端に増えたというものではない。 レコード会社側もそのあたりは承知をしていて、『カセットはダビンクのたびに音質が劣化し、MDは第一世代までしかデジタルコピーができない。CD-Rは無制限に無劣化コピーできるのが問題だ。』という論でCD-Rコピーを非難していた。
※7
SACDの出始めの頃は、DSD再生にその当時のハイエンドPC並みの強力なCPUパワーを必要としたので、プレーヤーがかなり高価であった。 1999年にSONYが発売したSACDプレーヤーの1号機「SCD-1」の価格は50万円。 翌年には8万円の低価格プレーヤーを投入したが、他のハードメーカーは10〜20万円という価格帯が相場という状況が数年続いた。
※8
例外として1作品だけ「CDS-200」「CDS-300」方式ではない国内盤のCCCDがある。 2002年10月23日にゾンバ・レコーズ・ジャパンが発売したNick Carterのアルバム「NOW OR NEVER」(ZJCI-10118)は「Key2Audio」という方式のCCCDを採用していて、エイベックスが配給を担当した。 このアルバムは実質的には輸入盤で、アメリカで発売されたKey2Audio方式のCCCDに日本語のライナーノーツを添付して国内流通に乗せたものと思われる。
※9
ソニーのbitmusicは国内初のレコード会社直営の音楽配信サービスだった。 1年後の2000年にソニーは競合する他のレコード会社と協力して「レーベルゲート」という音楽配信システムの会社を設立し、そこで自社開発の圧縮形式ATRAC3を採用させることに成功。 各レコード会社の音楽配信サービスにプラットフォームとしてATRAC3 + WMDRM(Microsoft)、あるいはATRAC3 + EMMS(IBM)のレーベルゲート方式を提供する(2002年8月以降はATRAC3 + OpenMG XのレーベルゲートMQ方式で、圧縮形式・DRM共にSONYが開発したものになる)。 2004年にレーベルゲート社自身が運営する「レコード会社非直営型」の音楽配信サービス「Mora」が始まり、それまでレコード会社毎に独立していた音楽配信サービスの楽曲がMora1ヶ所で購入できるようになる(iTunes Storeと同じ方式になった)。 bitmusicは2007年にMoraに統合される形で消滅する。
※10
レーベルゲート方式は事実上ウォークマン専用のプラットフォームである。 ソニーにとっては自社開発の圧縮形式ATRAC3が普及すればウォークマンが売れるだけではなく、ウォークマン以外のデジタルオーディオプレーヤーのメーカーからATRAC3に対応したいという要望が高まってライセンス収入のチャンスが生まれる(MDがそうであったように)。 しかし、ソニー以外のレコード会社にしてみれば、ウォークマン以外のデジタルオーディオプレーヤーに向けても音楽を売りたいわけで、ATRAC3を格別に引き立てなければならない理由は特になかった。 ATRAC3を再生できるのはウォークマンだけで、その他のデジタルオーディオプレーヤーはMP3とWMA、あるいはMP3とAACが再生できるというのが主流だった。
デジタルオーディオプレーヤーはヘッドホンステレオ(カセットプレーヤー)やMDと違って精密なメカ機構を必要としないため製造の敷居が低く、中国や韓国などから新興メーカーが続々と参入。 圧縮形式は音質が十分でライセンス料の安かったMP3が瞬く間に標準の座を獲得し、デジタルオーディオプレーヤーが登場した頃は「MP3プレーヤー」という呼び方の方が一般的だった。
※11
5GBのHDDに128kbpsで1曲平均5分の音楽が1000曲収容できるというのが初代iPodの売り文句であった。 片や、ソニーの「メモリースティック ウォークマン」の記録媒体であるMGメモリースティックは当時は128MBが最大容量で1枚に25曲程度しか入らない(フラッシュメモリの類は4cm四方のコンパクトフラッシュでさえもせいぜい512MBのものしかなかった)。 128MBのメモリースティックは当時はかなり高価で、複数枚を所持してカセットテープやMDのように気軽に入れ替えて使うというわけにはいかなかった。 ましてや友達と交換して聴くなんてことは思いもされなかったであろう。
HDDは大容量ではあるものの大きくて重くて衝撃に弱いことからポータブルオーディオには向かないと思われていて、アップル以外の企業はシリコンオーディオ一辺倒だったが、「家中のCDを全部iPodに転送して外に持ち出そう」というアップルの提案は圧倒的な支持を得た。
iPod以前のアップルはパソコン市場でのシェアが2〜3%前後で、熱烈なファンが多くいたものの、冒険が多くていつ倒産するか判らない会社と見られていた。 1996年にアップルのCEOに復帰したスティーブ・ジョブズが打ち出す新機軸はこの時はまだまだ布石の段階で、のちにiPhoneがiPod以上に世界を席巻する。
※12
国内盤はCCCDだが海外からの輸入盤はCD-DAというビートルズの「Let It Be... Naked」(2003年11月17日発売)のような例がいくつかあったので、厳密には一部タイトルについては一般リスナーもそれぞれのオーディオ環境下で比較検証は可能だった。 SMEはシングルはCCCDでアルバムはCD-DAという期間が1年ほどあったので、先行シングルとアルバム収録曲で聴き比べるということが可能というケースもあった。

シングル「君の魂 大事な魂」

2003年12月17日、CCCD仕様のシングル「君の魂 大事な魂」が発売される。 この時、SMEグループはアルバムへの導入に先立ち、まずは新譜シングルの全てを「レーベルゲートCD2」で発売する方針を取っていた。 したがって「君の魂 大事な魂」がCCCDで発売されることは順当なものではあったが、自身の作品が初めてCCCDでリリースされることについて佐野元春側からファンへのリスク説明や注意喚起などは事前にも事後にも行われていない。 また、「君の魂 大事な魂」の発売に合わせて行われたいくつかのプロモーション(ラジオ番組やトークイベントへの出演)において、佐野は13枚目のオリジナル・アルバム「THE SUN」(この時はタイトル未定)の発売を翌年3月と予告しており、そのCCCD化も不可避と予想された。

一部のファンはSMEが新譜シングルをCCCDにすると発表した2002年11月の時点から佐野作品のCCCD化に反対していて、佐野が本当にCCCDを採用するのかどうかを注目していたところであり、沈黙を貫いたままのCCCDリリースを受けて彼らの間には失望感が広がった。 逆に「時代の流れ」と理解を示す向きもあり、佐野の公式サイトMWSおよびFCサイトmofaのBBSには賛否両論が寄せられる。 ただ、実際のところはCCCD問題に関心を寄せる佐野ファンの数はこの段階ではおそらくはまだ少ない。

コンピレーション・アルバム「Visitors 20th Anniversary Edition」

2004年1月20日、当初CCCDでリリース予定だったコンピレーション・アルバム「Visitors 20th Anniversary Edition」がCCCDを回避して通常のCD-DAで発売されると発表される。 佐野元春の公式サイトMWSがCCCDについて言及したのはこの時が初めてだが、佐野自身のCCCDに関するメッセージは発表されなかった。 MWSが公開した文書によると、発売元のEpic RecordsはCCCD回避の理由 を『既にCD化された音源が殆どである』ためと説明している。

"今回は特例"と釘を刺されたことで3月に予定されている新作アルバム(「THE SUN」、この時はタイトル未定)はCCCDになるという懸念は残ったが、このアナウンスは佐野元春がCCCDで作品をリリースすることは本意ではないという意思表示と捉えることができる。 佐野がいつの段階で何をきっかけにCCCDについて関心を寄せるようになったのかは不明だが、とりあえずこのことでCCCDは避けるのが望ましいという認識がファンの間に広まった。

「Visitors 20th Anniversary Edition」は2004年2月25日にリリース。 CCCDのままであれば2月18日がリリース予定日だった。

外部リンク

シングル「月夜を往け」

2004年2月7日、佐野元春はDJを務めていたラジオ番組「TOYOTA radiofish」の中で2004年3月10日発売予定のシングル「月夜を往け」の発売延期を発表する。 佐野は番組内で『レコード会社の都合』である旨をリスナーに伝えたが、詳しい理由は語らなかった。 翌週の放送で新しい発売予定日は5月19日と告知されたが、ここでもCCCDについて触れられることはなかった。

「月夜を往け」はタイトル未定の新作アルバムの先行シングルと告知されていたもので、このシングルの発売延期はすなわちアルバムの発売延期も意味していた。 延期の理由は不明のままだが、「月夜を往け」は結局CCCDでリリースされて、この作品がEpic Recordsから発売された最後の作品となる。

ハートランドからの手紙 #163

2004年3月14日、佐野元春はファンから寄せられたバースデイ・メッセージへの返信として「ハートランドからの手紙 #163」を公開する。 この中で佐野は初めてCCCDに対して間接的な表現ながらも嫌悪感を示したが、合わせて違法なデジタルコピーが横行しているインターネットの当時の現状に対しても危機感を滲ませている。

外部リンク

ライブ・アルバム「in motion 2003 ─ 増幅」

2004年4月12日、Epic Recordsと佐野元春の自主レーベル「GO4」との共同名義にすることでCCCDが回避されるはずだったライブアルバム「in motion 2003 ─ 増幅」が、SMEの意向により発売が延期になると発表された。 3月21日の段階で佐野の公式サイトMWSは同アルバムをCCCD仕様から通常のCD-DAに規格変更して発売すると発表しており、これを再びCCCDに戻すという決定は発売予定日のわずか9日前のことだった。 SMEは「やはり例外は認めない」という強硬な姿勢を示すことになったのだが、発売日が差し迫ってからの度重なる仕様変更にはSME内部にも混乱や逡巡があったことが伺える。

佐野側はこの時、1枚組であることが望ましいライブ作品がCCCDによって2枚組に分割されることが問題だとの見解を示し、CD媒体での発売は中止もありえることを示唆している。 この一件はSMEと佐野の間に何か意見の相違があり対立していることが表面化した唯一の事例となった。

翌日の2004年4月13日、佐野マネジメントとEpic Recordsが協議を持った結果、「in motion 2003 - 増幅」の原盤が佐野側に移管されてEpic Recordsが同作品の発売中止を発表。 「in motion 2003 - 増幅」は佐野の自主レーベル 「GO4」から1枚組の正規規格のCD-DA仕様で発売されることになる(つまりインディーズで発売することに)。

これにより、同アルバムは一般CDショップの店頭販売やオンライン販売が無くなり、佐野の公式サイトMWS内のオンラインショップ「MWSストア」やファンクラブ「mofa」経由の通信販売、ライブ会場での物販コーナーで取り扱われることになった。 佐野側はパッケージの作り直しとインターネット販売の準備のために日にちを要するとし、当初の発売予定日だった4月21日は通信販売の予約受付開始日となり、商品発送は5月28日からとなった。

なお、販路変更に伴ってGO4レーベルはこの商品の価格を税込3,059円から2,310円へと2割以上下げた。 MWSの最新ニュースが伝えたところによると『スポークンワーズという新しい音楽表現をより多くのリスナーに伝えていきたいため』とのこと。

外部リンク

注釈

2枚組に分割
SME独自のCCCD規格であるレーベルゲートCD2は、従来のCD用オーディオ形式であるリニアPCMの記録領域を一部削り、空いた部分にパソコン用の圧縮済み音源としてATRAC3形式のファイルを収容するようになっている。 これにより、正規規格のCD-DAの最大収録時間が約74分に対して、レーベルゲートCD2だと約65分しか入らない。 「in motion 2003 - 増幅」は約69分の作品で、CD-DAでリリースすれば1枚組、レーベルゲートCD2だと2枚組という状況にあった。 佐野はこの事情を利用してCCCDが回避できるかどうかを試した可能性がある。

SMEグループから離脱

2004年4月23日、佐野元春はデビューから24年間在籍したEpic Recordsから独立して新しいレーベルを興すと発表する。 ライブアルバム「in motion 2003 ─ 増幅」の一件により、新作オリジナル・アルバムを通常のCD-DAで発売することは困難であるとの結論に至ったものと思われる。 のちにディストリビューターがユニバーサルミュージックであることが判明して事実上の移籍となった。

これで佐野自身のCCCD問題は急転直下で解決を迎えることになったのだが、佐野はCCCD自体に問題があるという論調はついに取らなかった。 これは長年連れ添ったEpic Recordsの現場で働くスタッフに配慮をしたものと考えられる。

また、Epic Recordsからの最後のシングル「月夜を往け」は独立の発表後にも関わらず予定通り5月19日にリリースされており、SMEと佐野の別離は最終的にはお互いの主張を最大限に尊重した結果だったことを伺わせる。 佐野の公式サイトMWSもSMEの許諾が必要であろうコンテンツを一時的な中断も無くそのまま公開し続けていた。

外部リンク

DaisyMusic発足

2004年5月22日、佐野元春は公式サイトMWSを通じて新レーベルの名称「DaisyMusic」と新作アルバムのタイトル「THE SUN」を発表する。 Epic Recordsからの最後の作品「月夜を往け」が発売されたその週末だった。

6月3日には「DaisyMusic」の設立を記念して報道および業界関係者を招いたパーティーを東京青山のレストラン 「CAY」 で開催。 佐野の行動は一部のマスコミにCCCD問題に一石を投じるものとして取り上げられた。 この時点でもまだ佐野は独立の原因がCCCDであるとはどの媒体でも明言していなかったのだが、このような形でレーベルを離反するアーティストを世間の反CCCD派は待ち望んでいた空気もあって、ドラスティックに映った佐野の独立は反CCCDを掲げる同業者や評論家、ファン以外の音楽リスナーからも多くの賛同を集めることになった。

7月21日、佐野の13枚目のオリジナル・アルバム「THE SUN」はDaisyMusicレーベルから通常のCD-DAで発売される。 先行シングルとアルバムが競合する別々の会社から発売されるという特異なケースとなった。

外部リンク

注釈

一部のマスコミ
朝日新聞 2004年6月5日付け東京本社版夕刊の記事見出しは『佐野元春、独立し通常盤制作 アーティストに広がる「反CCCD」』。 記事中、佐野と同じくEpic Records所属の矢野顕子がヤマハミュージックコミュニケーションズへ移籍することも報じている。 ヤマハはCCCDを採用をしていなかった。 矢野もマキシシングルをCCCDでリリースしたことによって一部ファンから抗議を受けていた。 Epic RecordsはCCCDを実施した僅かな期間に、長年レーベルを支えた看板アーティスト2名を放出することになってしまった。 朝日新聞のこの記事は衆議院に提出された『いわゆる「コピーコントロールCD」に関する質問主意書』でも引用された。
産経新聞は2004年7月20日付け東京本社版夕刊で、『パソコン音楽事情 ビートルズを聴けない!? 「便利」と「不便」過渡期で交錯』という見出しでCCCDの問題を取り上げている。 記事の中で、『佐野元春などCCCDを嫌ってレーベルを新設、移籍するアーティストもいる』と解説している。 ただし、この時点で佐野がCCCDを理由にSMEを離脱したということが確認できるソースは見当たらない。
スポーツ報知 2004年11月24日付けの記事見出しは『[ニュースのウラ側]〈39〉レコード会社がCCCDから撤退』。 記事の中で『佐野元春が今年4月にSME系エピックレコードを脱退した理由のひとつに、CCCDへの反対があったという』と解説している。

文芸雑誌「野生時代」2004年8月号

2004年7月12日発売の文芸雑誌「野生時代 8月号 Vol.9」(ISBN:9784047220591)に6ページにわたる佐野元春インタビュー記事が掲載され、インタビュアーの「CCCDの問題がエピックを離れる決断に関係したのか?」という質問に対して佐野は次のように語った。

『一部のマス・メディアでは、僕をアンチCCCDの旗頭に仕立て上げたいような論調もあって、ビックリしてるんだけどね。僕は一度もCCCDについて論を展開したことはない。CCCD問題については、2004年、今、こうしてインタビューを受けている時点で、個人的にはもはや過去のイシューになっている。というのも、CDというフォーマット自体、終息しつつあると僕は見てます。ただ、著作権保護に向けて何らかのコピープロテクトを施す必要はある、と思う。ただ、どうプロテクトするのか、ここが問題なんですね。本当に音楽を愛して聴いてくれる人達にとって、理解と楽しみが得られなければ意味がないと思う。ロックンロールを聴く前に、誰かと契約書を交わすなんてバカげてる。僕の美学から言っても、それは野暮ですよ』

時期的にインタビューは佐野のCCCD問題が決着して間もない頃であり、まだ傷痕が生々しいこの時点では詳細を語りたくないという感じである。

なお、このインタビューから10年以上経った2017年現在、佐野の展望は残念ながら外れている。(後述の「著作権保護機能のその後」を参照)

SMEがCCCDを全面撤廃

2004年9月30日、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)がCCCD仕様での新譜販売を11月で終了するとの発表を行う。 9月17日にエイベックスが『コピーコントロール機能の有無を商品に応じて弾力的に決定していく』と発表しており、SMEの決定はまたしてもこれに追従する形となった。 結局、圧縮音源がATRAC3形式のCCCDであるレーベルゲートCDを採用してくれる他の会社は現れなかった。

SMEはCCCD撤廃の理由を『著作権保護に対して、多くの音楽ユーザーの意識が高まり、一時の混乱期を脱したと判断されるとともに、法的環境の整備も進んできました。』としているが、これはSMEが自社の面子を保つための表向きの説明であると言わざるを得ない。 CCCDにはPCでの複製を妨害するためのエラー信号がわざと挿入されているため、これが音質劣化を招くとして、一部の音にこだわるアーティストやリスナーの理解が最後まで得られなかった。 また、CCCDには期待されるようなコピー防止の効果がほとんど無いという実情もあり、エイベックスの事実上の撤退宣言によってSMEもここで手を引かざるを得ない状況にあったのだろう。

4ヶ月前の佐野元春の独立は、SMEに対してだけでなく業界全体の脱CCCDの機運を高めるひとつの要因になったと考えられる。 公正取引委員会も問題視するなど様々な物議を醸したCCCDはこれで終息に向かうことになった。

もし、CCCDが原因で佐野がSMEから独立したのだとするならば、SMEがCCCDを撤廃したことで佐野との間に生じた齟齬は解消されることになる。 実際に、2005年の暮れから旧譜の復刻企画が「Motoharu Sano Archives 1980-2004」シリーズとして復活し、その商品開発に佐野は積極的に関与していく。

外部リンク

注釈

エイベックス
エイベックスの方針転換の一番の理由はアップルの躍進だろう。 音楽リスナーに支持されてシェアが右肩上がりだったデジタルオーディプレーヤー「iPod」を、レコード会社は無視することできなくなっていた。 iPodの管理ソフト「iTunes」に楽曲を入れるにはCCCDを辞める以外に手は無かった。
エイベックスのCCCD弾力運用の決定はこの頃起きていた内紛の終結と社長交代による影響もあると言われているが、内紛の争点のひとつにCCCDがあったのかどうかは不明。
表向きの説明
実際問題としてはこの後もCDの売り上げの減少は続き、楽曲の違法ダウンロードは増加傾向にあった。 法的整備については2010年1月1日に、いわゆる「ダウンロード違法化」を盛り込んだ改正著作権法が施行されたが、2004年の時点で有効な法的環境の整備などは無かった。
コピー防止の効果がほとんど無い
CCCDから音楽データだけを抽出する方法(リッピング)はPC系の雑誌が盛んに取り上げて広く知れ渡っていた他、ネット上にも解説が多くあった。 リッピングでPCに取り込んでしまえばCCCD由来のエラー信号は取り除けるので、PCユーザーにとってはCCCDは事実上無害とも言える。 CCCDの不備はまさにその点で、PCを持ってるリスナー(違法ダウンロードやアップロードが可能な人たち)には実質的に影響がなく、PCを持っていないリスナー(違法ダウンロードとは無縁な人たち)には悪影響が出る可能性があるという本末転倒な代物と言える。

ブロガーミーティング

2007年10月29日、佐野元春の公式サイトMWSが第一回「佐野元春ブロガーミーティング」という非公開イベントを開催した。 このイベントの内容はいわゆる有力ブロガー(alpha blogger)と呼ばれる人たちにMWSの最近の取り組みを自由に評価してもらうというもので、佐野自身がプレゼンテーションを行っている。 この中で佐野はSME離脱の経緯を述懐し、CCCDを巡る問題が大きな理由であったことを初めて認めた。 佐野自身がCCCDについてはっきりと語るのはこれが初めてで、当時、CCCD回避のためにSMEの上層部と水面下で折衝があったことなどを明かしている。

このミーティングについてはMWS上での詳細なレポートは無く、参加したブロガーのブログが情報媒体となっている。 記事の扱い方は掲載不掲載を含めてミーティングに参加した各ブロガーの裁量に委ねられているようであるが、そもそもMWSがどういった基準で参加ブロガーを選んだのかは不明である。 参加ブロガーたちは熱心な佐野元春ファンというわけではないし、CCCDについて特段の関心を持っていたというわけでもなさそうである。 各ブロガーはCCCDについてレコード会社側の主張を特に調べること無く、佐野元春の言い分のみを聞いて記事にしているという点に留意するべきだろう。

また、佐野が何故この場とこのタイミングでCCCDに関する見解を表明したのかについても判らない。 すでに古巣のSMEがCCCDを撤廃してから3年ほどが経っており、ここにきて突然CCCDや当時の所属レーベルの対応を非難してみても今更感は否めないのだが、2007年は英EMIがiTunes Storeに提供する楽曲からDRMを取り除くという出来事があり、著作権保護技術の運用に再び大きな転機が訪れたという意味で、CCCDについて話すのにふさわしい時期と思ったのかもしれない。 このイベントの6ヶ月前、ジャーナリストの津田大介もEMIのDRMフリー化を伝える記事の中でCCCDを総括している。

2004年「野生時代」インタビュー時の佐野と同じように、津田もDRMの適切な運用を推しているが、佐野も津田もまったく予測を外すことになる。 レコード会社が将来どんな方法で収益を確保していくのか、また、リスナーの音楽の接し方がどのように変化していくのかを想像するのはかなり難しいことだったというのが判る。(後述の「著作権保護機能のその後」を参照)

外部リンク

MWS内のブログエントリー

COYOTE - 第一回「佐野元春ブロガーミーティング」開催される - Moto's Web Server
当初のエントリー内容では参加したブロガーは11名とだけ説明されていて具体的なブロガー名は公表されていない。 掲載されているリンクやトラックバックはブロガー側の記事が公開されたのちにおいおいと追加されていったもので、何らかの約束があって掲載されているものではないと思われる。 また、MWSスタッフが勘定に入っているのかどうかが判らないので、参加はしたものの記事をエントリーしていないブロガーもいる可能性がある。

ミーティング参加者のブログエントリー

各ブロガーがエントリーで使用している会場内の写真はMWSが用意した共通のものを使用。 撮影や録音は許可されていなかったようだ。

ブロガーミーティング開催のアイデアは、この企画を発案した人がアップルのやり方を参考にしたものと思われる。佐野は2007年6月12日にアップルストア銀座でトークイベントを開催しており、この時にアップルが数名の有力ブロガーを招待していた。

著作権保護機能のその後

2004年の佐野元春や2007年の津田大介はそれぞれ「コピープロテトク」「DRM(デジタル著作権管理)」の適切な運用が必要と説いているが、2017年現在において、国内・海外を問わずレコード会社にとってコピープロテクトを含むDRMは重要な案件ではなくなっている。

2006年 ─ 時代の徒花「CCCD」

まず、不評だったCCCDは、2006年頃に日本国内ではリリースされなくなった。 うっかり非を認めると返品や交換だけでなくオーティオコンポの修理代も請求されかねないので、どのレコード会社も『音楽をコピーすることは違法だと啓蒙することができ、成果を上げて役目を終えた』としか言わないが、CCCDは明らかに失敗だった。 大切な絆で結ばれていなければならないはずのアーティストとファンは分断の危機に晒され、レコード会社もCCCD関連の投資が無駄に終わった上にアーティストやリスナーからの信用を大きく損ねてしまった。

SME(ソニー・ミュージックエンタテインメント)はCCCDを撤廃すると発表した10ヶ月後の2005年7月に、店頭のレーベルゲートCDを引き取って新しい型番に変更したCD-DAと交換が可能であると小売店に通達した。 このことは一般のリスナーには特に知らされておらず、謂わば秘密裏にCCCDを回収して廃盤にするというものだった。 ただし、すべてのタイトルが置き換えられたわけではなく、SMEが発売したCCCD全799タイトルのうち、再発売は295タイトルに止どまる。 バックオーダーの有無に関わらずこのような一斉置き換えを行ったのはSMEだけだった。

なお、レーベルゲートCDとレーベルゲートCD2は2017年現在も当時のものを在庫している店があって新品で購入できる場合がある。 環境によっては再生手段が無いので注意が必要。 ソニーは2008年4月にパソコン用再生ソフト「MAGIQLIP2」の配布を終了しているが、ディスク商品は製造物責任法の適応外なので、市場に残ったレーベルゲートCDの回収義務は発生しないらしい。 一般リスナーに対してはレーベルゲートCDをCD-DAに無償交換するといったサービスはないので、当時発表された作品をネットや店頭で購入する際にはよく確認しなければならない。

2007年 ─ iTunes Storeで英EMIがDRMを廃止

2007年にアップルの音楽配信サービス「iTunes Store」(旧称 iTunes Music Store)で画期的な出来事があった。 iTiunes Storeで売られる楽曲は2003年のサービス開始以来、DRM付きでコピー回数などが制限されていたが、アップルは2007年から約5年を掛けてすべての楽曲をDRMフリーで販売するように変更し、他社のダウンロードサービスもこれに追随する。

スティーブ・ジョブズが『DRMは無意味で今後も役に立たない』と語ったことの影響が大きい。 アップルはもともとDRMは不要という考えだったが、DRMは効果があると信じて疑わないレコード会社の強い要望でiTunes Storeに自社開発のDRM「FairPlay」を導入していた。 そしてiTunes Storeがシェアを拡大させるにつれてFairPlayは名を上げたい世界中のハッカーに狙われることになる。 実際にFairPlayはヨン・レック・ヨハンセンというノルウェーの有名なプログラマに何度となく破られていて、アップルがDRMに限界を感じていたのは間違いないだろう。

皮肉にも最初にDRMフリーを決断したのはCCCDで先頭に立って著作権保護を訴えていた英EMIだった。 この頃、iTunes StoreはMacintosh・Windows共に2位以下に大差をつけるNo.1プラットフォームの地位を揺るぎないものとしていて、欧米のレコード会社はアップルの提案に耳を傾けるようになっていた。 コピーコントロールやコピープロテクトを含む著作権保護機能は違法ダウンロードを抑制して売上を確保するどころか、手軽に再生デバイスを選ぶことができない不自由さが嫌われて、ますます違法ダウンロードに人々が引き寄せられているのではないかという心配が説得力を持ち始める。

2010年 ─ 国内で改正著作権法が施行

2010年に、それまではアップロードだけが違法であったのに対してダウンロードも違法とする改正著作権法が施行される。 一斉取り締まりで逮捕者が多数出るなど、この施策により犯罪の温床と言われ続けたP2Pファイル共有ソフトの利用者数は激減する(※1)。 法律の改正はJASRACを中心とした音楽や映像の権利団体が政治家に働きかけたロビー活動の賜物と言えるだろうが、P2Pファイル共有ソフトの利用者が減ってもCDの売上は特に回復しなかった。

2012年 ─ ソニーがアップルとの競争をあきらめる

2012年10月、レーベルゲート社が運営する国内最大手の音楽配信サービス「mora」が大幅な方針転換を行う。 それまで使用していたDRM付きATRAC3形式の音源を廃止してアップルのiTunes Storeと同じDRMフリーAAC形式に変更すると発表し、発表からほとんど間を置かずに一斉切り替えを行った(iTunes Storeは同年2月に、契約する全レーベルを説得し終えて完全DRMフリー化を完了していた)。 moraでの楽曲購入にはWindows用の専用ソフトが必要だったが、DRMに関わる制約がなくなったことでWWWブラウザから購入できるようになってMacintoshにも対応した。

その1ヶ月後にはそれまでiTunes Storeには提供されていなかったSME所属アーティストの邦楽曲がiTunes Storeのカタログに一斉追加されて、十年余り続いたソニーのアップル敵視方針がここに終了する。 音楽配信サービスを先に形にしたのはソニーだったが、iTunes Storeの登場以降はソニーは常にアップルの後塵を拝し、ついに追いつくことはできなかった。 これでダウンロードで販売される音楽はほとんどすべての配信サービスでDRMフリーが標準となった。

佐野元春は自身の旧譜がiTunes Storeで購入できるようになったことについて、Facebookで喜びを語った。

2015年 ─ サブスクリプション元年

2010年の法改正とは別に、スマートフォンの普及(※2)によって人々の行動がダウンロードからストリーミングにシフトしたことも違法ダウンロードが減少するひとつの要因となった。 2010年代半ばに定額で聴き放題のサブスクリプションモデルのサービスが登場し、音楽を所有しないのに好きなだけ自由に選んで聴けるという新しいスタイルが提案される。

サブスクリプションモデルは格安で新譜がいち早く聴けるのと、音楽をインターネット経由でストリーミング配信(ダウンロードをしながら同時に再生し、再生が終わるとデータを破棄)するためスマートフォンのストレージ容量を圧迫しないことが大きなメリットである(繰り返し聴きたい曲はデータ転送量を節約するために一時的な保存も可能)。 サブスクリプションモデルのサービスの多くはPCでも音楽が聴けるのでHDDに音源を溜め込む必要が無くなり、かつてレコード会社の頭を悩ませたP2Pファイル共有ソフトの利用機会を減らした上に、CDや着うたほどの実入りは無いにしても確実な収入をレコード会社にもたらしている。

たとえば毎月1枚のCDアルバム(1枚3,000円)を買うと1年で3万6千円を払って12枚のアルバムが所有できるのに対して、サブスクリプションのサービスを利用すれば同じ金額で3年間、数百万というタイトルの中から聴きたいアルバムを聴きたいだけ無制限に聴くことができる。 この時代の若者は、CDでしかリリースされていない曲であれば仕方なくCDを買うこともあるが、聴き放題サービスで提供されているのであればわざわざCDは買わないというのが一般的な考え方と言っていい。

2000年代初頭は十数年後にこのようなサービスが主流になるとは誰も想像できなかった。 データ通信が3Gから4Gに移り変わる期間とスマートフォンの普及はリンクしていて、国内でスマホとガラケーのシェアが逆転したのがまさに2015年であった。 サブスクリプションモデルのサービスはそれを待っていたかのように一斉に登場する。

主なサブスクリプションサービス
日本でのサービス開始サービス名
2015年5月AWA
2015年6月Apple Music
2015年9月Google Play Music
2016年9月Spotify

利用料金は2017年現在で、個人向け機能制限なし聴き放題プランが月額980円で横並び。 提供曲数も3,500万〜4,000万曲と同じくらいの品揃え。

2017年 ─ 発売から36年目、息の長いメディア「CD」

この頃、CDはまだ終息と呼べるほどには衰えておらず、世界的には2015年にデジタルリリースがフィジカルリリース(※3)を売上で逆転したというニュースがあったものの、依然として日本国内ではCDがレコード会社の売上の中で大きなウェイトを占めている(※4)。 国内のレコード会社は「売り上げ・生産枚数ともに全盛期の1/3」などとネガティブな資料で危機感を煽るが、世界各国と比較すれば、それでもまだ日本はCDの売り上げが異常に多い国と言える。 ただし一方では、インターネットネイティブの若い世代には一度もCDを買ったことがなく、「高いお金を出してCDを買う意味がわからない」(※5)という人も現れ始める。

コピーコントロールではなくちゃんとしたコピープロテクトを採用している次世代CD規格と言われたSACDやDVD-Audioはまったく普及する気配が無いまま賞味期限(特許)が切れようとしている。 レコード会社はダウンロード版のハイレゾ市場の開拓や、アナログ盤やカセットテープの復活などに力を注いで、CDの売上減少の穴を埋めようと試行錯誤が続いている。

佐野元春もまだオリジナルアルバムをCDでリリースしている。

注釈

※1 P2Pファイル共有ソフトの利用者数
国内の利用者数は2006年の調査で約175万人2015年の調査で約15万人
※2 スマートフォンの普及
インターネットに接続する端末の利用率は2017年にスマートフォンがパソコンを逆転する。
※3 デジタルリリース / フィジカルリリース
デジタルリリースはインターネットからダウンロードで販売される形態。 ストリーミングのサブスクリプションモデルもデジタルリリースに含まれる。
フィジカルリリースはCDやUSBメモリといった、リスナーが手に取れる物に収められて販売される形態で、日本では従来「音楽ソフト」や「パッケージ」と呼ばれているもの。
※4 国内レコード会社の音楽の売上
日本は2016年にフィジカル2,457億円、デジタル529億円の売上げ。 2014年時点でアメリカではフィジカルの割合が26%まで落ち込んでいるのに対して、日本は78%を維持。 2017年現在、世界で一番CDが売れる国(楽曲単価が高い国)は日本であり、K-POPアーティストが続々と日本市場に進出を図るのもそれゆえである。 アメリカと日本の二国だけで世界中の音楽の売り上げの3/4を占める。
※5 日本のCDは高い
日本で音楽CDの価格は再販制度(再販売価格維持)で守られていて、発売から一定期間は小売店の裁量で値引き販売をすることができない。 この制度のおかげで価格競争が発生しないので、日本のレコード会社は他の国よりもCDの価格を高く設定している。 また、安く入ってきていた邦楽の逆輸入盤が2005年の著作権法の改正で規制された。

SMEと佐野元春の動向一覧

佐野元春とSME(ソニー・ミュージックエンタテインメント)の最も大きな争点はアルバムをCCCD仕様とするかしないかということであったようだ。 結果、アルバムについては1作品もCCCDとはならなかった。 シングルについても争った形跡が見えるが、2作品がCCCDで発売されており、佐野側が妥協したと考えられる。

※「Epic Records」は佐野がデビュー以来在籍していたSME傘下のレーベル。

2002.11.20SMEが独自CCCDであるレーベルゲートCDの採用を発表
2003.01.22この日よりSME傘下のレーベルから発売される邦楽12cmシングル(Maxi Single)全タイトルがレーベルゲートCD仕様になる。 パソコンでの再生や複製は認証の為にインターネット接続環境が必要に。 一部のアルバムにも実験的に導入される。
2003.11.06この日よりSME傘下のレーベルから発売される邦楽12cmシングル(Maxi Single)がバージョンアップ規格のレーベルゲートCD2仕様になる。 インターネット接続環境の無いパソコンでも再生が可能になるが、複製については引き続きオンラインでの認証作業が必要。 翌年1月下旬からのアルバムへの導入も告知。
2003.12.17佐野のニューマキシシングル「君の魂 大事な魂」がEpic RecordsからCCCD仕様(レーベルゲートCD2)で発売される。 CCCD仕様になったことについて、ファン及び購入者に対して事前事後の説明は無し。
2004.01.21この日よりSME傘下のレーベルから発売される邦楽アルバム全タイトルがレーベルゲートCD2仕様になる。 シングルとアルバムのすべてがCCCD仕様に統一される。
2004.02.07佐野は自身がDJを務めるラジオ番組の中で、3月10日に発売予定だったシングル「月夜を往け」の発売延期を発表する。延期の理由は『レコード会社の都合』と説明されたが詳細な理由は不明。
2004.02.25当初、CCCD仕様で発売予定だった佐野のコンピレーション・アルバム「Visitors 20th Anniversary Edition」がCCCD仕様を回避して通常のCD-DAでEpic Recordsから発売される。 佐野の公式サイトMWSは「Epicレコードジャパンからお知らせ」を公開してCCCD回避の経緯を説明した。
2004.04.124月21日に発売予定だった佐野のライブ・アルバム「in motion 2003 ─ 増幅」の発売延期が公式サイトMWS上で発表される。 このアルバムはSMEと佐野の自主レーベル「GO4」の共同名義にすることでCCCDを回避するという約束になっていたが、SMEが意を翻し、同アルバムをCCCD仕様で発売するよう変更を求めた。 佐野側はこの求めに対してアルバムの発売中止も示唆。
2004.04.13佐野の公式サイトMWSは前日に発売延期が発表されたライブ・アルバム「in motion 2003 ─ 増幅」をSMEとの共同名義ではなく佐野の自主レーベルから単独で発売すると発表する。 これにより同アルバムはCCCDを回避したが、一般店頭販売がされないことになった(通販やライブ会場の物販コーナーで販売)。
2004.04.23佐野は公式サイトMWSを通じてEpic Recordsから独立して新しいレーベルを興すと発表する。
2004.05.19佐野のニューマキシシングル「月夜を往け」がEpic RecordsからCCCD仕様(レーベルゲートCD2)で発売される。 当初は3月10日発売予定だったものだが、延期の理由は結局明かされなかった。 このシングルが佐野がEpic Recordsからリリースした最後の作品となった。
2004.05.22佐野は公式サイトMWSを通じて新レーベルの名称「DaisyMusic」と新作アルバムのタイトル「THE SUN」を発表する。
2004.06.03佐野は「DaisyMusic」の設立を記念して報道および業界関係者を招いたパーティーを東京青山のレストランで開催。 同パーティーには外資系最大手のレコード会社・ユニバーサルミュージックの社長兼CEO・石坂敬一が出席し挨拶を行った。
2004.07.21佐野の13枚目のオリジナル・アルバム「THE SUN」がDaisyMusicレーベルから通常のCD-DAで発売される。
2004.09.30SMEが方針を転換し、独自規格のCCCDであるレーベルゲートCD2の廃止を発表。 翌月より段階的に廃止を始め、 11月17日以降に発売される新譜はすべて通常のCD-DA仕様になった。
2005.07.27SMEは独自規格のCCCDであるレーベルゲートCD2で発売されたアルバム105タイトルを店頭から回収し、新品番のCD-DA版に置き換えを開始。 置き換えについての正式なアナウンスは無し。一般リスナーが購入したCCCDを通常CDと無償交換するということではない。
2005.10.26SMEは独自規格のCCCDであるレーベルゲートCD2で発売されたアルバムとシングル190タイトルを店頭から回収し、新品番のCD-DA版に置き換えを開始。 置き換えについての正式なアナウンスは無し。 この中には佐野がCCCDで出したシングル2作品は含まれていない。
2007.07.17SMEは独自規格のCCCDであるレーベルゲートCD2の複製のためのオンライン認証サービスの終了を発表。 翌2008年3月31日をもって同オンライン認証サービスを終了。PC再生においてレーベルゲートCD2の2ndセッションの読み込みに唯一対応していたWindows XP用の音楽管理ソフト「MAGIQLIP2」も2008年4月30日にダウンロードとサポートを終了。

このページについて

このページの編集やその他の操作

このページの最終更新日

2022.07.23 Sat

hitoriPedia