CCCD(コピーコントロールCD)は主にパソコンによるデジタルコピーを妨害するために一部のレコード会社が販売した著作権保護機能付きの音楽ディスクのこと。 CCCDを発売したレコード会社は「ほとんどのCDプレーヤーで正常に再生できる」と謳っていたが、CCCDは「Red Book(※1)に準拠した正規のCD」ではなく、再生機器のメーカー側は正常な動作を保証していない。
ソフトとハードの両方を取り扱うソニーは2003年の春頃には
『最近販売されている<著作権保護技術付きディスク>には、CD規格に準拠していないものもあり、そのようなディスクについては、当社のCDプレーヤーやパーソナルコンピュータでの動作・音質を保証できません。』(※2)
と宣言していて、その後もCCCDに対応する再生機器などの販売は行っておらず、CCCD販売との整合性が取れない対応に終始した(ソニーがCCCDを採用すると発表したのは2002年11月)。
国内最初のCCCDは2002年3月13日にエイベックス・トラックスから発売されたBoAのシングル「Every Heart -ミンナノキモチ-」。 東芝EMIが2006年6月まで独自規格のCCCD「セキュアCD」を販売していて、国内盤のCCCDが販売されたのはそのあたりが最後と思われる。
佐野元春が当時所属していたレーベル「Epic Records」を傘下に置くソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)は、エイベックスや東芝EMIに追従する形で2004年1月以降に発売されるSMEグループの全CDをネットワーク認証型の独自仕様CCCD「レーベルゲートCD2」とする方針を取った。 しかし、実施からわずか1年足らずでこの方針は撤廃されることになり、SMEグループがCCCDで発売したうちの295作品はその後に回収されて正規規格のCD-DA仕様でひっそりと再発売されることになる。 ただし、一部の作品は放置されたままで、佐野がリリースしたCCCDのマキシシングル「君の魂 大事な魂」と「月夜を往け」は通常のCD-DAで再発売されていない。
年 | インターネット 世帯普及率 | 携帯電話 人口普及率 ※PHSは除く | CD生産枚数 シングル+アルバム | CD等 音楽ソフト の売上 ※デジタル配信は除く |
---|---|---|---|---|
1997 | 6.4% | 16.7% | 4億5713万9千枚 | 5880億円 |
1998 | 11.0% | 25.0% | 4億5717万3千枚 | 6075億円 |
1999 | 19.1% | 32.8% | 4億2674万3千枚 | 5696億円 |
2000 | 34.0% | 40.4% | 4億1405万2千枚 | 5398億円 |
2001 | 60.5% | 48.0% | 3億6862万6千枚 | 5031億円 |
2002 | 81.4% | 54.3% | 3億2867万9千枚 | 4815億円 |
2003 | 88.1% | 59.4% | 3億1526万7千枚 | 4562億円 |
2004 | 86.8% | 63.9% | 3億0225万5千枚 | 4313億円 |
2005 | 87.0% | 68.1% | 3億0180万3千枚 | 4222億円 |
2006 | 79.3% | 71.8% | 2億9025万2千枚 | 4084億円 |
: | : | : | : | : |
2014 | 85.6% | 112.5% | 1億7038万3千枚 | 2542億円 |
レコード会社が最も頭を悩ませていたのは、00年代初頭から世界的に大流行(※3)したNapsterやWinMX、Gnutella(LimeWire)、WinnyなどのP2Pファイル共有ソフトであったろう。 パソコンの性能が向上してリッピングやMP3エンコードが短時間で可能になったり、常時接続で高速なインターネット通信のADSLサービスが始まったのもこの頃だった。
P2Pファイル共有ソフトを使えば有名アーティストのアルバムはほとんどすべてが簡単に「共有」(言い換えれば「泥棒」)できていた。 海外では訴訟が起こされ、国内では開発者や利用者が著作権法違反で逮捕されたりしたことも話題になった。 CDの売上は1998年を境いに急激な減少傾向が続いていて、一部のレコード会社はその主な原因はCD-Rへの違法コピー(※4)とP2Pファイル共有ソフトによる違法ダウンロードであると睨んだ。
しかし、レコード会社がCCCDを推し進めようとする中で、CDの売上の減少は人々の趣味の多様化でお金の使い道が変わったのが原因だとする指摘がIT評論家や音楽評論家の間に多くあった。 上記リンクのインタビューでエイベックス関係者も触れているが、携帯電話の人口普及率が2000年に40%を、2002年に50%を超え、その料金の支払いに取って代わられたという意見が多く、たとえ違法コピーや違法ダウンロードを根絶できたとしても人々が携帯電話の使用をやめて再びCDの購入にお金を回すようになることはあり得ないと言われていた。
CCCDはレコード会社が共同戦線を張って協力しながら展開していたものではなく、次の主導権を誰が握るかを決めるための企業同士の熾烈な競争という側面もあった。
音楽CD(CD-DA)はソニーとフィリップスによって1980年に規格化されたが、20年経った2000年頃に関連特許が軒並み切れることになる。 ソニーとフィリップスは次の標準規格必須特許のライセンスを他社に渡さないようにと1999年に次世代規格のSACD(Super Audio CD)を規格化して推進していたが、世界中にあまねく普及してしまったCDとCDプレーヤーの需要が無くなるはずもなく、ソフトもハードも置き換えは全くと言っていいほど進まなかった(※5)。
やがて、特許使用料を払う必要がなくなったCD-DAの関連技術に無理やり著作権保護機能を組み合わせて新しい標準規格を創り出そうとする動きが他のレコード会社で起こり、各社がバラバラに独自仕様を打ち立て始めたため、CD-DAの規格を一番に守らなければならないはずのソニーでさえもCCCDに参戦せざるを得ない状況になっていった。
その3はソニーだけの特別な事情である。
CCCDに収録されるパソコン用のDRM(デジタル著作権管理)付きの圧縮音源は、最後発のソニーのレーベルゲートCDがATRAC3形式を採用して、他のレコード会社のCCCDはWMA形式を採用している。 OpenMGというDRMを備えるATRAC3はソニーが作った規格で、1999年に開始した自社レーベル専門の音楽配信サービス「bitmusic」(※6)と、それに合わせて発売された「メモリースティック ウォークマン」のために開発されたものだった。
「レーベルゲート」は元々は2000年に設立された、音楽配信サービス用のプラットフォーム(配信システム)を提供する会社の名前で、ソニーを中心にエイベックスやポニーキャニオンなど10社が出資しており、ダウンロード用の圧縮音源はソニーの肝煎りでATRAC3形式を採用していた。 しかし、レーベルゲート社に出資したソニー以外のレコード会社のほとんどがこの頃はまだ「レーベルゲート方式は数あるプラットフォームの中のひとつ」としか考えていなかったようで、ATRAC3 + OpenMGだけを推し進めて世界標準にしたいと目論むソニーとは温度差があったようだ(※7)。
事業者(ブランド名) | サービス開始 | 配信形式(DRM技術) |
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ミュージック・ドット・ジェイピー(music.jp) | 1997年4月 |
|
ソニー・ミュージックダイレクト(bitmusic) | 1999年12月 | ATRAC3(OpenMG) |
エイベックスネットワークス(@MUSIC) | 2000年4月 |
|
三洋電機(SOUND BOUTIQUE) | 2000年4月 | LiquidAudio |
ニフティ(@nifty MUSIC WEB - Digital Music Store) | 2000年6月 |
|
BMGファンハウス(HMV・新星堂・すみや・タワレコ・山野楽器と協力して販売) | 2000年7月 |
|
東芝EMI(du-ub.com) | 2001年2月 |
|
ビクターエンタテインメント(na@h!) | 2001年2月 |
|
2017年現在、音楽配信サービスと言えば音楽配信をする会社があって、各レコード会社がそこに音源を提供してサービスが行われるというのが一般的だが、2000年頃は逆で、レコード会社の側が自社アーティストのために自前でドメイン(売る場所)を用意して、そこにマイクロソフトやIBMなどがプラットフォームを提供するというスタイルだった。
インターネット上に正規にダウンロードで音楽が買える場所が無いから違法ダウンロードが横行しているという意見もあって、レコード会社にとって販売システムの構築は急務であったが、CCCDはインターネット音楽配信がまだ軌道に乗っていない段階の時に、インターネット音楽配信との兼ね合いをじっくりと突き詰めないまま見切り発車で始まってしまった。
ソニーが他社のCCCDを追いかけるように「レーベルゲートCD」を始めたのは、ソニーにとって有利なインターネット音楽配信のビジネスモデルの確立を急ぐ必要があり、レーベルゲートCDの採用を他のレコード会社にも呼びかけて、少なくともレーベルゲート社に出資をしている会社にはCCCDの圧縮音源をWMAからATRAC3に切り替えてもらいたいという思惑があったものと思われる。 ソニーにとって「浜崎あゆみのアルバムはパソコン用音源がWMAだからウォークマンに入れることができない」というような状態が続くことは、著作権保護のことよりもずっと深刻で切迫した問題であったろう。 当時のウォークマンはATRAC3専用でMP3にすら対応していなかった。
折しも、2001年にアップルが発売した「iPod」(※8)が世界中を席巻し、音楽管理ソフトの「iTunes」の使い勝手の良さがWindowsユーザーの間でも評判になっていた頃だった。 アップルが2003年(日本版は2005年)に開始した音楽配信サービス「iTunes Music Store」で採用したDRM付きのAAC形式はソニー側のサービスとはお互いに互換性が無く、アップルとソニーは自分たちのサービスにどれだけたくさんのユーザーを呼び込むかで激しく競い合っていた。
CCCDを採用した レコード会社 | 運用状況 |
---|---|
エイベックス | 2002〜2004年、積極的に採用。 |
東芝EMI | 2002〜2006年、積極的に採用。 |
ポニーキャニオン | 2002〜2005年、一部のレーベルで積極的に採用。 |
ワーナーミュージック | 2002〜2004年、導入はしたが実際にリリースされたタイトル数は少ない。 |
ユニバーサルミュージック | 2002〜2004年、導入はしたが実際にリリースされたタイトル数は少ない。 |
ビクターエンタテイメント | 2002〜2004年、積極的ではあったが、アーティストが拒否すれば回避はできた模様。 |
テイチクエンタテインメント | 2002〜2003年、導入はしたが実際にリリースされたタイトル数は少ない。 |
キングレコード | 2003年、1作品にのみに採用。 |
ソニー・ミュージックエンタテインメント | 2003〜2004年、積極的に採用。 |
フォーライフミュージックエンタテイメント | 2003〜2004年、積極的に採用。 |
SME・エイベックス・東芝EMIという国内3大レコード会社が積極的かつ広範にCCCDを採用したことで、この動きが他のいくつかのレコード会社にも波及。 2002年から2005年に掛けて、メジャーレーベルに所属するアーティストのうち相当数がCCCD問題に直面したと思われる。 その中で、CCCDは音質的な問題があって採用できないとしたアーティストは山下達郎、浅倉大介、阿部義晴、宇多田ヒカルなど。 違法コピーを食い止めるために導入はやむを得ないとしたのは吉田美奈子やテイ・トウワなど。
いずれにしてもCCCDに関心を寄せ、それについて音楽リスナーに説明する必要があると考え、実際に思うところを語ったアーティストは極めて少数だった。 突然現れたCCCDの意味を十分に理解できなかったアーティストは多かったと思われるし、そもそもレコード会社がどのような媒体を採用するかについて、自分たちが口を挟むべきことではないと思ったアーティストもいたかもしれない。
当初、許容できるものと表明していた奥田民生はその後に翻意して、CCCDを揶揄するアートワークなどで反対の態度を示した。
カーネーションはマネージャーとファンの間で応酬があり、騒動を収めるために直枝政広がBBSに書き込みする一幕も。
十数年経って再び唐突に怒りを露わにした岸田繁。 CCCD騒動で嫌な目にあったことへの恨みがまだ消えない。
アジカン後藤正文はデビューアルバムがCCCDという憂き目に。 当時、正直にファンに心中を告白し、十数年経って、岸田繁のツイートがきっかけでさらに詳しく当時の状況を説明している。
CCCDは記録面が1stセッションと2ndセッションという二つの部分で構成されている。 1stセッションには民生用オーディオ機器(一般的なCDプレーヤー)で再生されることを期待して、CD-DAと同じフォーマットのリニアPCM形式の音楽データが収録されている。 2ndセッションにはパソコンで再生するためのDRM付き圧縮音源(たいていはWMA形式)と、それを再生するためのプレーヤーソフトが収録されている(※9)。 なお、CD-DAは1stセッションしかない。
レコード会社によってCCCDの仕様が違うので、「A社の方式のCCCD」が再生できたCDプレーヤーがあったとしても、そのCDプレーヤーで「B社の方式のCCCD」が再生できるとは限らない。 同じレコード会社でも発売時期によってCCCDの仕様が異なる場合もある。
国内で正規に販売されているCDプレーヤーであれば、再生可能なディスクについてその種類が取扱説明書に記載されている。 もともとCDプレーヤーは、CCCDに限らず「コンパクトディスクロゴマークが印刷されていない音楽ディスク」は規格外と看做して再生や音質を保証しないのが普通だが、大手のレコード会社から不意に大量の規格外品(つまりCCCD)が発売されたことで、国内の主要なオーディオメーカーはあらためて専用ページを設けてCCCDの再生や音質を保証しないと念押ししている。
オンキヨー クラリオン ケンウッド シャープ ソニー TEAC DENON パイオニア パナソニック マランツ ヤマハ
TDKが2002年当時に販売していたポータブルMP3/CDプレーヤ「MOJO CD-MP1215」は次のような宣伝文句を製品紹介ページに載せてCCCD対応を謳っていた。
コピーコントロールCD(CCCD)再生対応*
*2002年3月までに発売されたCCCDで確認したもので、今後発売されるCCCDの再生を保証するものではありません。
2002年3月までに発売された国内盤のCCCDはエイベックスからの3タイトルだけで、TDKはその3タイトルで検証を行ったものと思われる。 CD-MP1215はWMAの再生には対応していないので、2ndセッションではなく1stセッションのリニアPCMが問題なく再生できたということのようだ。
CCCDを販売したレコード会社の言う通り、CCCDはほとんどのCDプレーヤーで再生できるのだが、それは飽くまでも規格外の特殊なディスクがたまたま再生できたというだけに過ぎない。 CCCDを販売したレコード会社の側で、たとえば「◯◯社のオーディオコンポでは再生できない」とか「△△社のCDプレーヤーなら問題無く再生できる」というような情報を提供をしていたところは無かった。
CCCDは1stセッションのリードインエリアに故意に不正な値が記録されていて、パソコン用の光学ドライブでは1stセッションを無視して2ndセッションを読みに行くように仕向ける。 しかし、実際にどういった挙動になるかはまちまちで、レコード会社の期待通りの動作をしない場合も多い。
1stセッションを普通に読み込んでCD-DAと同じように再生してコピーもできてしまったというケースや、1stセッションも2ndセッションも読み込めずに「I/Oデバイスエラー」になるケース、あるいはシークを繰り返したのちにディスクが認識される時とされない時があるなど、様々なケースがネット上に報告されていた。
前提としてCCCDが対応するOSはWindowsのみ(※10)で、SMEのレーベルゲートCD及びレーベルゲートCD2の場合はWindows XPにしか対応していない。
CCCDは光学ドライブへの依存度が高いと噂され、安定してリッピングが可能な外付け光学ドライブのメーカー名や型番の情報交換がネット上で盛んに行われていた。
CCCDを再生したらCDプレーヤーが壊れたという報告はインターネット上にいくつも上がったが、中には反CCCD派のプロパガンダもあったと思われる。 CDプレーヤーは通常の使用でもピックアップやドライブのサーボモーターにいずれ寿命は来るので、壊れたとしてもCCCDだけが原因と断定するのは難しい。 ただ、理論上、CCCDはCD-DAよりも多くのエラー補正を要求するので、いくつかの部品に普段以上の負荷が掛かるのは事実であろう。 負荷の程度という話になれば、CDプレーヤーによってかなり差があるようだ。
CCCDを再生することで何か問題が起きても、CCCDを発売した会社とCDプレーヤーを製造した会社、いずれも責任を取らないとしているのでとりあえずは自己責任で再生するしかない。 今使用しているCDプレーヤーで特に問題が起きなかったとしても、次に買い換えるCDプレーヤーで正常な再生ができるとは限らない。 CCCDを所有する限りはそういう心配がずっと付きまとうが、リッピング(※11)してパソコンに取り込んでしまえばCCCDに含まれるエラー信号は除去できるので、リスナー側の投資や努力でリスクを回避することは可能である。
CCCDが販売されている期間は比較の対象となるべき同じタイトルのCD-DAが販売されていなかった(※12)ので、一般リスナーは同じCDプレーヤーで聴き比べるというような検証作業はやりようがなかったが、CCCDの制作に携わったミュージシャンの阿部義晴やプロデューサーの佐久間正英はCCCDは音質的に問題があると発信していた。
一方で、吉田美奈子や奥田民生のように、聴き比べた上で「些細な音質の変化」「違和感なし」という意見もあった。
これについてもリッピング(※11)してパソコンに取り込んでしまえばCCCDに含まれるエラー信号は除去できるので、リスナー側の投資や努力で音質をCD-DAと同じにすることは理論上は可能である。
また、CCCDを採用した各レコード会社は常に音質改善に取り組んでいたようなので、もしCCCDの販売が続いていたなら、CD-DAが最初の頃に比べて音質がどんどん向上していったのと同じように、いずれはCDプレーヤーでの再生においてもCD-DAと比べて本当に遜色のないレベルに持って行けたかもしれない。
実際のところリスナーが反発をしたのは、CDの売上の減少をすべてリスナーの違法コピーのせいにして、真っ当にアーティストを支援したいという人たちまでをも犯罪者予備軍と決めつけ、再生できなくても返品や交換に応じないという免責事項を設けて自分たちはリスクを負わないというレコード会社の姿勢に対してであった。 そして、「アーティストはファンに寄り添い、レコード会社と戦ってほしい」と期待したのがCCCDに反対の声を上げたリスナーの内心だった。
2003年12月17日、CCCD仕様のシングル「君の魂 大事な魂」が発売される。 この時、SMEグループはアルバムへの導入に先立ち、まずは新譜シングルの全てを「レーベルゲートCD2」で発売する方針を取っていた。 したがって「君の魂 大事な魂」がCCCDで発売されることは順当なものではあったが、自身の作品が初めてCCCDでリリースされることについて佐野元春側からファンへのリスク説明や注意喚起などは事前にも事後にも行われていない。 また、「君の魂 大事な魂」の発売に合わせて行われたいくつかのプロモーション(ラジオ番組やトークイベントへの出演)において、佐野は13枚目のオリジナル・アルバム「THE SUN」(この時はタイトル未定)の発売を翌年3月と予告しており、そのCCCD化も不可避と予想された。
一部のファンはSMEが新譜シングルをCCCDにすると発表した2002年11月の時点から佐野作品のCCCD化に反対していて、佐野が本当にCCCDを採用するのかどうかを注目していたところであり、沈黙を貫いたままのCCCDリリースを受けて彼らの間には失望感が広がった。 逆に「時代の流れ」と理解を示す向きもあり、佐野の公式サイトMWSおよびFCサイトmofaのBBSには賛否両論が寄せられる。 ただ、実際のところはCCCD問題に関心を寄せる佐野ファンの数はこの段階ではおそらくはまだ少ない。
2004年1月20日、当初CCCDでリリース予定だったコンピレーション・アルバム「Visitors 20th Anniversary Edition」がCCCDを回避して通常のCD-DAで発売されると発表される。 佐野元春の公式サイトMWSがCCCDについて言及したのはこの時が初めてだが、佐野自身のCCCDに関するメッセージは発表されなかった。 MWSが公開した文書によると、発売元のEpic RecordsはCCCD回避の理由 を『既にCD化された音源が殆どである』ためと説明している。
"今回は特例"と釘を刺されたことで3月に予定されている新作アルバム(「THE SUN」、この時はタイトル未定)はCCCDになるという懸念は残ったが、このアナウンスは佐野元春がCCCDで作品をリリースすることは本意ではないという意思表示と捉えることができる。 佐野がいつの段階で何をきっかけにCCCDについて関心を寄せるようになったのかは不明だが、とりあえずこのことでCCCDは避けるのが望ましいという認識がファンの間に広まった。
「Visitors 20th Anniversary Edition」は2004年2月25日にリリース。 CCCDのままであれば2月18日がリリース予定日だった。
2004年2月7日、佐野元春はDJを務めていたラジオ番組「TOYOTA radiofish」の中で2004年3月10日発売予定のシングル「月夜を往け」の発売延期を発表する。 佐野は番組内で『レコード会社の都合』である旨をリスナーに伝えたが、詳しい理由は語らなかった。 翌週の放送で新しい発売予定日は5月19日と告知されたが、ここでもCCCDについて触れられることはなかった。
「月夜を往け」はタイトル未定の新作アルバムの先行シングルと告知されていたもので、このシングルの発売延期はすなわちアルバムの発売延期も意味していた。 延期の理由は不明のままだが、「月夜を往け」は結局CCCDでリリースされて、この作品がEpic Recordsから発売された最後の作品となる。
2004年3月14日、佐野元春はファンから寄せられたバースデイ・メッセージへの返信として「ハートランドからの手紙 #163」を公開する。 この中で佐野は初めてCCCDに対して間接的な表現ながらも嫌悪感を示したが、合わせて違法なデジタルコピーが横行しているインターネットの当時の現状に対しても危機感を滲ませている。
2004年4月12日、Epic Recordsと佐野元春の自主レーベル「GO4」との共同名義にすることでCCCDが回避されるはずだったライブアルバム「in motion 2003 ─ 増幅」が、SMEの意向により発売が延期になると発表された。 3月21日の段階で佐野の公式サイトMWSは同アルバムをCCCD仕様から通常のCD-DAに規格変更して発売すると発表しており、これを再びCCCDに戻すという決定は発売予定日のわずか9日前のことだった。 SMEは「やはり例外は認めない」という強硬な姿勢を示すことになったのだが、発売日が差し迫ってからの度重なる仕様変更にはSME内部にも混乱や逡巡があったことが伺える。
佐野側はこの時、1枚組であることが望ましいライブ作品がCCCDによって2枚組に分割されることが問題だとの見解を示し、CD媒体での発売は中止もありえることを示唆している。 この一件はSMEと佐野の間に何か意見の相違があり対立していることが表面化した唯一の事例となった。
翌日の2004年4月13日、佐野マネジメントとEpic Recordsが協議を持った結果、「in motion 2003 - 増幅」の原盤が佐野側に移管されてEpic Recordsが同作品の発売中止を発表。 「in motion 2003 - 増幅」は佐野の自主レーベル 「GO4」から1枚組の正規規格のCD-DA仕様で発売されることになる(つまりインディーズで発売することに)。
これにより、同アルバムは一般CDショップの店頭販売やオンライン販売が無くなり、佐野の公式サイトMWS内のオンラインショップ「MWSストア」やファンクラブ「mofa」経由の通信販売、ライブ会場での物販コーナーで取り扱われることになった。 佐野側はパッケージの作り直しとインターネット販売の準備のために日にちを要するとし、当初の発売予定日だった4月21日は通信販売の予約受付開始日となり、商品発送は5月28日からとなった。
なお、販路変更に伴ってGO4レーベルはこの商品の価格を税込3,059円から2,310円へと2割以上下げた。 MWSの最新ニュースが伝えたところによると『スポークンワーズという新しい音楽表現をより多くのリスナーに伝えていきたいため』とのこと。
2004年4月23日、佐野元春はデビューから24年間在籍したEpic Recordsから独立して新しいレーベルを興すと発表する。 ライブアルバム「in motion 2003 ─ 増幅」の一件により、新作オリジナル・アルバムを通常のCD-DAで発売することは困難であるとの結論に至ったものと思われる。 のちにディストリビューターがユニバーサルミュージックであることが判明して事実上の移籍となった。
これで佐野自身のCCCD問題は急転直下で解決を迎えることになったのだが、佐野はCCCD自体に問題があるという論調はついに取らなかった。 これは長年連れ添ったEpic Recordsの現場で働くスタッフに配慮をしたものと考えられる。
また、Epic Recordsからの最後のシングル「月夜を往け」は独立の発表後にも関わらず予定通り5月19日にリリースされており、SMEと佐野の別離は最終的にはお互いの主張を最大限に尊重した結果だったことを伺わせる。 佐野の公式サイトMWSもSMEの許諾が必要であろうコンテンツを一時的な中断も無くそのまま公開し続けていた。
2004年5月22日、佐野元春は公式サイトMWSを通じて新レーベルの名称「DaisyMusic」と新作アルバムのタイトル「THE SUN」を発表する。 Epic Recordsからの最後の作品「月夜を往け」が発売されたその週末だった。
6月3日には「DaisyMusic」の設立を記念して報道および業界関係者を招いたパーティーを東京青山のレストラン 「CAY」 で開催。 佐野の行動は一部のマスコミにCCCD問題に一石を投じるものとして取り上げられた。 この時点でもまだ佐野は独立の原因がCCCDであるとはどの媒体でも明言していなかったのだが、このような形でレーベルを離反するアーティストを世間の反CCCD派は待ち望んでいた空気もあって、ドラスティックに映った佐野の独立は反CCCDを掲げる同業者や評論家、ファン以外の音楽リスナーからも多くの賛同を集めることになった。
7月21日、佐野の13枚目のオリジナル・アルバム「THE SUN」はDaisyMusicレーベルから通常のCD-DAで発売される。 先行シングルとアルバムが競合する別々の会社から発売されるという特異なケースとなった。
2004年7月12日発売の文芸雑誌「野生時代 8月号 Vol.9」(ISBN:9784047220591)に6ページにわたる佐野元春インタビュー記事が掲載され、インタビュアーの「CCCDの問題がエピックを離れる決断に関係したのか?」という質問に対して佐野は次のように語った。
『一部のマス・メディアでは、僕をアンチCCCDの旗頭に仕立て上げたいような論調もあって、ビックリしてるんだけどね。僕は一度もCCCDについて論を展開したことはない。CCCD問題については、2004年、今、こうしてインタビューを受けている時点で、個人的にはもはや過去のイシューになっている。というのも、CDというフォーマット自体、終息しつつあると僕は見てます。ただ、著作権保護に向けて何らかのコピープロテクトを施す必要はある、と思う。ただ、どうプロテクトするのか、ここが問題なんですね。本当に音楽を愛して聴いてくれる人達にとって、理解と楽しみが得られなければ意味がないと思う。ロックンロールを聴く前に、誰かと契約書を交わすなんてバカげてる。僕の美学から言っても、それは野暮ですよ』
時期的にインタビューは佐野のCCCD問題が決着して間もない頃であり、まだ傷痕が生々しいこの時点では詳細を語りたくないという感じである。
なお、このインタビューから10年以上経った2017年現在、佐野の展望は残念ながら外れている。(後述の「著作権保護機能のその後」を参照)
2004年9月30日、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)がCCCD仕様での新譜販売を11月で終了するとの発表を行う。 9月17日にエイベックスが『コピーコントロール機能の有無を商品に応じて弾力的に決定していく』と発表しており、SMEの決定はまたしてもこれに追従する形となった。
SMEはCCCD撤廃の理由を『著作権保護に対して、多くの音楽ユーザーの意識が高まり、一時の混乱期を脱したと判断されるとともに、法的環境の整備も進んできました。』としているが、これはSMEが自社の面子を保つための表向きの説明であると言わざるを得ない。 CCCDにはPCでの複製を妨害するためのエラー信号がわざと挿入されているため、これが音質劣化を招くとして、一部の音にこだわるアーティストやリスナーの理解が最後まで得られなかった。 また、CCCDには期待されるようなコピー防止の効果がほとんど無いという実情もあり、エイベックスの事実上の撤退宣言によってSMEもここで手を引かざるを得ない状況にあったのだろう。
4ヶ月前の佐野元春の独立は、SMEに対してだけでなく業界全体の脱CCCDの機運を高めるひとつの要因になったと考えられる。 公正取引委員会も問題視するなど様々な物議を醸したCCCDはこれで終息に向かうことになった。
もし、CCCDが原因で佐野がSMEから独立したのだとするならば、SMEがCCCDを撤廃したことで佐野との間に生じた齟齬は解消されることになる。 実際に、2005年の暮れから旧譜の復刻企画が「Motoharu Sano Archives 1980-2004」シリーズとして復活し、その商品開発に佐野は積極的に関与していく。
2007年10月29日、佐野元春の公式サイトMWSが第一回「佐野元春ブロガーミーティング」という非公開イベントを開催した。 このイベントの内容はいわゆる有力ブロガー(alpha blogger)と呼ばれる人たちにMWSの最近の取り組みを自由に評価してもらうというもので、佐野自身がプレゼンテーションを行っている。 この中で佐野はSME離脱の経緯を述懐し、CCCDを巡る問題が大きな理由であったことを初めて認めた。 佐野自身がCCCDについてはっきりと語るのはこれが初めてで、当時、CCCD回避のためにSMEの上層部と水面下で折衝があったことなどを明かしている。
このミーティングについてはMWS上での詳細なレポートは無く、参加したブロガーのブログが情報媒体となっている。 記事の扱い方は掲載不掲載を含めてミーティングに参加した各ブロガーの裁量に委ねられているようであるが、そもそもMWSがどういった基準で参加ブロガーを選んだのかは不明である。 参加ブロガーたちは熱心な佐野元春ファンというわけではないし、CCCDについて特段の関心を持っていたというわけでもなさそうである。 各ブロガーはCCCDについてレコード会社側の主張を特に調べること無く、佐野元春の言い分のみを聞いて記事にしているという点に留意するべきだろう。
また、佐野が何故この場とこのタイミングでCCCDに関する見解を表明したのかについても判らない。 すでに古巣のSMEがCCCDを撤廃してから3年ほどが経っており、ここにきて突然CCCDや当時の所属レーベルの対応を非難してみても今更感は否めないのだが、2007年は英EMIがiTunes Storeに提供する楽曲からDRMを取り除くという出来事があり、著作権保護技術の運用に再び大きな転機が訪れたという意味で、CCCDについて話すのにふさわしい時期と思ったのかもしれない。 このイベントの6ヶ月前、ジャーナリストの津田大介もEMIのDRMフリー化を伝える記事の中でCCCDを総括している。
津田も2004年「野生時代」インタビュー時の佐野と同じようにDRMの適切な運用を推していて、未来予測を外している。 レコード会社が将来どんな方法で収益を確保していくのかを想像するのはかなり難しいことだったというのが判る。(後述の「著作権保護機能のその後」を参照)
各ブロガーがエントリーで使用している会場内の写真はMWSが用意した共通のものを使用。 撮影や録音は許可されていなかったようだ。
ブロガーミーティング開催のアイデアは、この企画を発案した人がアップルのやり方を参考にしたものと思われる。佐野は2007年6月12日にアップルストア銀座でトークイベントを開催しており、この時にアップルが数名の有力ブロガーを招待していた。
2004年の佐野元春や2007年の津田大介はそれぞれ「コピープロテトク」「DRM(デジタル著作権管理)」の適切な運用が必要と説いているが、2017年現在において、国内のレコード会社にとってコピープロテクトを含むDRMは重要な案件ではなくなっている。
まず、不評だったCCCDは、2006年頃に日本国内ではリリースされなくなった。 うっかり非を認めると返品や交換だけでなくオーティオコンポの修理代も請求されかねないので、どのレコード会社も『音楽をコピーすることは違法だと啓蒙することができ、成果を上げて役目を終えた』としか言わないが、CCCDは明らかに失敗で、導入したレコード会社自身もアーティストやリスナーからの信用を大きく損ねてしまった。
2007年にアップルの音楽配信サービス「iTunes Store」で画期的な出来事があった。 iTiunes Storeで売られる楽曲は2003年のサービス開始以来、DRM付きでコピー回数などが制限されていたが、アップルは2007年から約5年を掛けてすべての楽曲をDRMフリーで販売するように変更し、他のダウンロードサービスもこれに追随する。
スティーブ・ジョブズが『DRMは無意味で今後も役に立たない』と語ったことの影響が大きい。 アップルは一刻も早くDRMから脱却したいと願っていた。 DRMが必要と信じて疑わないレコード会社の強い要望で採用したiTunes StoreのDRM「FairPlay」は、名を上げたい世界中のハッカーに常に狙われていた。 実際にFairPlayはヨン・レック・ヨハンセンというノルウェーの有名なプログラマに何度となく破られていて、アップルがDRMに限界を感じていたのは間違いないだろう。
皮肉にも最初にDRMフリーを決断したのはCCCDで先頭に立って著作権保護を訴えていた英EMIだった。 この頃、iTunes StoreはMacintosh・Windows共に2位以下に大差をつけるNo.1プラットフォームの地位を揺るぎないものとしていて、欧米のレコード会社はアップルの提案に耳を傾けるようになっていた。 コピーコントロールやコピープロテクトを含む著作権保護機能は違法ダウンロードを抑制して売上を確保するどころか、手軽に再生デバイスを選ぶことができない不自由さが嫌われて、ますます違法ダウンロードに人々が引き寄せられているのではないかという心配が説得力を持ち始める。
2010年に、それまではアップロードだけが違法であったのに対してダウンロードも違法とする改正著作権法が施行される。 一斉取り締まりで逮捕者が多数出るなど、この施策により犯罪の温床と言われ続けたP2Pファイル共有ソフトの利用者数は激減する(※1)。 法律の改正はJASRACを中心とした音楽や映像の権利団体が政治家に働きかけたロビー活動の賜物と言えるだろうが、P2Pファイル共有ソフトの利用者が減ってもCDの売上は特に回復しなかった。
また、法制度の整備とは別に、スマートフォンの普及によって人々の行動がダウンロードからストリーミングにシフトしたことも違法ダウンロードが減少するひとつの要因となった。 2010年代半ばに定額で聴き放題のサブスクリプションモデル(※2)のサービスが登場し、音楽を所有しないのに好きなだけ自由に選んで聴けるという新しいスタイルが提案される。 サブスクリプションモデルは格安で新譜がいち早く聴けるのと、音楽をインターネット経由でストリーミング配信(ダウンロードをしながら同時に再生し、再生が終わるとデータを破棄)するためスマートフォンのストレージ容量を圧迫しないことが大きなメリットで、スマートフォンとガラケーの普及率が逆転した頃からサービス提供業者と利用者が続々と増えていった(入れ替わりにガラケーの「着うた」の利用者は減っていく)。 サブスクリプションモデルの多くのサービスはPCでも音楽が聴けるのでHDDに音源を溜め込む必要が無くなり、かつてレコード会社の頭を悩ませたP2Pファイル共有ソフトの利用機会を減らした上に、CDや着うたほどの実入りは無いにしても確実な収入をレコード会社にもたらしている。
2012年10月、レーベルゲート社が運営する国内最大手の音楽配信サービス「mora」が大幅な方針転換を行う。 それまで使用していたDRM付きATRAC3形式の音源を廃止してアップルのiTunes Storeと同じDRMフリーAAC形式に変更すると発表した(iTunes Storeは契約する全レーベルを説得して同年2月に全面的なDRMフリー化が完了していた)。 moraでの楽曲購入にはWindows用の専用ソフトが必要だったが、DRMに関わる制約がなくなったことでWWWブラウザから購入できるようになってMacintoshにも対応した。
その1ヶ月後にはそれまでiTunes Storeには提供されていなかったSME所属アーティストの邦楽曲がiTunes Storeのカタログに一斉追加されて、十年余り続いたソニーのアップル敵視方針がここに終了する。 音楽配信サービスを先に形にしたのはソニーだったが、iPodとiTunesの登場以降はソニーはずっとアップルの後塵を拝し、ついに追いつくことはできなかった。 これでダウンロードで販売される音楽はほとんどすべての配信サービスでDRMフリーが標準となった。
佐野元春は自身の旧譜がiTunes Storeで購入できるようになったことについて、Facebookで喜びを語った。
CDについてはまだ終息と呼べるほどには衰えておらず、世界的には2015年にデジタルリリースがフィジカルリリース(※3)を売上で逆転したというニュースがあったものの、依然として国内ではCDがレコード会社の売上の中で大きなウェイトを占めている(※4)。 国内のレコード会社は「売り上げ・生産枚数ともに全盛期の1/3」などとネガティブな資料で危機感を煽るが、世界各国と比較すれば、それでもまだ日本はCDの売り上げが異常に多い国と言える。
コピーコントロールではなくちゃんとしたコピープロテクトを採用している次世代CD規格と言われたSACDやDVD-Audioはまったく普及する気配が無いまま賞味期限が切れようとしている。 レコード会社はダウンロード版のハイレゾ市場の開拓や、アナログ盤やカセットテープの復活などに力を注いで、CDの売上減少の穴を埋めようと試行錯誤が続いている。
佐野元春もまだ新譜をCDでリリースしていて、CDの売り上げが最も大きい。
佐野元春とSME(ソニー・ミュージックエンタテインメント)の最も大きな争点はアルバムをCCCD仕様とするかしないかということであったようだ。 結果、アルバムについては1作品もCCCDとはならなかった。 シングルについても争った形跡が見えるが、2作品がCCCDで発売されており、佐野側が妥協したと考えられる。
※「Epic Records」は佐野がデビュー以来在籍していたSME傘下のレーベル。
2002.11.20 | SMEが独自CCCDであるレーベルゲートCDの採用を発表。 |
2003.01.22 | この日よりSME傘下のレーベルから発売される邦楽12cmシングル(Maxi Single)全タイトルがレーベルゲートCD仕様になる。 パソコンでの再生や複製は認証の為にインターネット接続環境が必要に。 一部のアルバムにも実験的に導入される。 |
2003.11.06 | この日よりSME傘下のレーベルから発売される邦楽12cmシングル(Maxi Single)がバージョンアップ規格のレーベルゲートCD2仕様になる。 インターネット接続環境の無いパソコンでも再生が可能になるが、複製については引き続きオンラインでの認証作業が必要。 翌年1月下旬からのアルバムへの導入も告知。 |
2003.12.17 | 佐野のニューマキシシングル「君の魂 大事な魂」がEpic RecordsからCCCD仕様(レーベルゲートCD2)で発売される。 CCCD仕様になったことについて、ファン及び購入者に対して事前事後の説明は無し。 |
2004.01.21 | この日よりSME傘下のレーベルから発売される邦楽アルバム全タイトルがレーベルゲートCD2仕様になる。 シングルとアルバムのすべてがCCCD仕様に統一される。 |
2004.02.07 | 佐野は自身がDJを務めるラジオ番組の中で、3月10日に発売予定だったシングル「月夜を往け」の発売延期を発表する。延期の理由は『レコード会社の都合』と説明されたが詳細な理由は不明。 |
2004.02.25 | 当初、CCCD仕様で発売予定だった佐野のコンピレーション・アルバム「Visitors 20th Anniversary Edition」がCCCD仕様を回避して通常のCD-DAでEpic Recordsから発売される。 佐野の公式サイトMWSは「Epicレコードジャパンからお知らせ」を公開してCCCD回避の経緯を説明した。 |
2004.04.12 | 4月21日に発売予定だった佐野のライブ・アルバム「in motion 2003 ─ 増幅」の発売延期が公式サイトMWS上で発表される。 このアルバムはSMEと佐野の自主レーベル「GO4」の共同名義にすることでCCCDを回避するという約束になっていたが、SMEが意を翻し、同アルバムをCCCD仕様で発売するよう変更を求めた。 佐野側はこの求めに対してアルバムの発売中止も示唆。 |
2004.04.13 | 佐野の公式サイトMWSは前日に発売延期が発表されたライブ・アルバム「in motion 2003 ─ 増幅」をSMEとの共同名義ではなく佐野の自主レーベルから単独で発売すると発表する。 これにより同アルバムはCCCDを回避したが、一般店頭販売がされないことになった(通販やライブ会場の物販コーナーで販売)。 |
2004.04.23 | 佐野は公式サイトMWSを通じてEpic Recordsから独立して新しいレーベルを興すと発表する。 |
2004.05.19 | 佐野のニューマキシシングル「月夜を往け」がEpic RecordsからCCCD仕様(レーベルゲートCD2)で発売される。 当初は3月10日発売予定だったものだが、延期の理由は結局明かされなかった。 このシングルが佐野がEpic Recordsからリリースした最後の作品となった。 |
2004.05.22 | 佐野は公式サイトMWSを通じて新レーベルの名称「DaisyMusic」と新作アルバムのタイトル「THE SUN」を発表する。 |
2004.06.03 | 佐野は「DaisyMusic」の設立を記念して報道および業界関係者を招いたパーティーを東京青山のレストランで開催。 同パーティーには外資系最大手のレコード会社・ユニバーサルミュージックの社長兼CEO・石坂敬一が出席し挨拶を行った。 |
2004.07.21 | 佐野の13枚目のオリジナル・アルバム「THE SUN」がDaisyMusicレーベルから通常のCD-DAで発売される。 |
2004.09.30 | SMEが方針を転換し、独自規格のCCCDであるレーベルゲートCD2の廃止を発表。 翌月より段階的に廃止を始め、 11月17日以降に発売される新譜はすべて通常のCD-DA仕様になった。 |
2005.07.27 | SMEは独自規格のCCCDであるレーベルゲートCD2で発売されたアルバム105タイトルを回収し、新品番のCD-DA版に置き換えを開始。 置き換えについての正式なアナウンスは無し。当然、CCCDと通常CDを無償交換するなどという話も無い。 |
2005.10.26 | SMEは独自規格のCCCDであるレーベルゲートCD2で発売されたアルバムとシングル190タイトルを回収し、新品番のCD-DA版に置き換えを開始。 置き換えについての正式なアナウンスは無し。 この中には佐野がCCCDで出したシングル2作品は含まれていない。 |
2007.07.17 | SMEは独自規格のCCCDであるレーベルゲートCD2の複製のためのオンライン認証サービスの終了を発表。 翌2008年3月31日をもって同オンライン認証サービスを終了。PC再生においてレーベルゲートCD2の2ndセッションの読み込みに唯一対応していたWindows XP用の音楽管理ソフト「MAGIQLIP2」も2008年4月30日にダウンロードとサポートを終了。 |