佐野元春の3枚目のオリジナル・アルバム。 佐野の知名度を全国区に押し上げた最初のヒット・アルバム。 オリコン・アルバムチャート最高位4位。 佐野が26歳の時の作品で、初めてアルバムプロデュース(全曲を編曲したり、ミュージシャンを集めたり)までを自ら行った。
発売日 | カタログコード | 形態 | レーベル | (税抜)税込価格 | 備考 |
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1982.05.21 | 28・3H-61 | LP | EPIC/SONY | ¥2,800 | 歌詞カードが組み立て式のポケットブック。 |
1982.05.21 | 28・6H-41 | TAPE | EPIC/SONY | ¥2,800 | |
1982.10.01 | 35・8H-2 | CD | EPIC/SONY | ¥3,500 | 世界で初めて発売されたCD50タイトルのうちのひとつ。27・8H-5096の発売により廃盤。 |
1989.06.01 | 27・8H-5096 | CD | EPIC/SONY RECORDS | (2,460)¥2,534 | アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の発売に合わせて同時再発売された旧譜6タイトルのうちのひとつ。ESCB 1322の発売により廃盤。 |
1989.06.01 | 25・6H-5096 | TAPE | EPIC/SONY RECORDS | (2,290)¥2,359 | 〃 |
1992.09.01 | ESCB 1322 | CD | Epic/Sony Records | (2,718)¥2,800 | 同時再発売された旧譜7タイトルのうちのひとつ。デジタル・リマスター。MHCL-30003の発売により廃盤。 |
2005.12.21 | MHCL 703 | CD | GT music (Sony Music Direct) | (2,400)¥2,520 | 【限定盤】同時再発売された80年代アルバム8タイトルのうちのひとつ。紙ジャケ、デジタル・リマスタリング、完全生産限定。 |
2012.11.07 | SOMEDAY ※リンク切れ | AAC, 256kbps @iTunes Store | Sony Music Entertainment(Japan)Inc. |
| 【デジタル配信】iTunes Storeのカタログに佐野元春の旧譜が一斉追加。SMEの方針転換を機に。 |
2013.02.20 | MHCL-30003 | CD | GT music (Sony Music Direct) | (1,800)¥1,890 | 高品質CD規格の「Blu-spec CD2」で同時再発売された80年代オリジナル・アルバム6タイトルのうちのひとつ。 |
2014.10.29 | MHXX01175B00Z | FLAC, 24bit/96kHz @mora | Sony Music Direct(Japan)Inc. |
| 【デジタル配信】80年代オリジナルアルバム6作品 初ハイレゾ化 同時配信のひとつ。 |
2016.03.30 | SOMEDAY | AAC, 256kbps @iTunes Store | Sony Music Direct(Japan)Inc. |
| 【デジタル配信】13タイトル同時に[Mastered for iTunes]に仕様変更。 |
2016.10.26 | MHJL-4 | LP | GREAT TRACKS [Sony Music Direct(Japan)Inc.] | (4,000)¥4,320 | 【限定盤】「レコードの日」に合わせて初期3部作が同時再発売。180g重量盤。 |
リリース20周年記念特別版 ⇒ 「SOMEDAY Collector's Edition」 2002年発売
全曲、作詞作曲編曲は佐野元春。 ★は大村雅朗がストリングス・アレンジを担当。
沢田研二がコーラスで参加している「Vanity Factory」は佐野元春が沢田のアルバム用に書き下ろした曲をセルフカバーしたもの。 佐野は1980年代前半に6曲を沢田に提供していて、これらの楽曲はすべて先に発表された沢田版がオリジナルということになる。 沢田版はいずれもアルバム収録曲でシングルでの発売は無い。
沢田研二への提供曲一覧と佐野元春のセルフカバー状況は次の通り。
提供曲名 (沢田版の編曲者) | 収録アルバム - 沢田研二 | 収録アルバム - 佐野元春 | 備考 |
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彼女はデリケート (伊藤銀次) | G.S. I Love You (1980.12.23) ⇒iTunes Store | NIAGARA TRIANGLE VOL.2 (1982.03.21) | 沢田版に佐野がコーラスで参加。 |
I'm In Blue (伊藤銀次) | G.S. I Love You (1980.12.23) | SOMEDAY (1982.05.21) | |
The Vanity Factory (伊藤銀次) | G.S. I Love You (1980.12.23) | SOMEDAY (1982.05.21) | 佐野版に沢田がコーラスで参加。 |
Bye Bye Handy Love (伊藤銀次) | STRIPPER (1981.06.10) ⇒iTunes Store | No Damage 14のありふれたチャイム達 (1983.04.21) | 佐野版はショートエディット・バージョン。フルバージョンはシングル「SOMEDAY」とアルバム「SOMEDAY Collector's Edition」に収録されているがいずれも新品での入手は困難。現在はサブスクで聴くことができる。 |
Why Oh Why (伊藤銀次) | A WONDERFUL TIME (1982.06.01) ⇒iTunes Store | ※セルフカバー無し | |
すべてはこの夜に (井上鑑) | NON POLICY (1984.06.21) ⇒iTunes Store | ※セルフカバー無し | 1986年に吉川晃司がシングル曲としてカバーし、オリコンチャート最高4位を記録している。 |
佐野の沢田への楽曲提供は、佐野の当時のバックバンドであったThe Heartlandのギタリスト・伊藤銀次が関係していて、伊藤がアレンジャーとして参加した沢田研二のいくつかのアルバムに佐野はコーラスでも参加している(「ゲスト参加」のページを参照)。 伊藤は佐野の1stアルバム「BACK TO THE STREET」と2ndアルバム「Heart Beat」にアレンジャーとして関わっているが、その仕事を評価されて沢田研二のアルバム制作メンバーに抜擢されたという。
沢田の当時の所属レーベルのポリドールと佐野のエピックとは資本関係のない競合する会社だった。 レーベルの垣根を越えたアーティスト同士の交流というのはままあることかもしれないが、無名だった佐野のアルバムに人気絶頂の沢田研二がコーラスで参加するということは佐野サイドにはうれしい驚きであったろうし、アルバム「SOMEDAY」の売り上げにいくらかの良い影響があったと考えられる。
アルバムジャケットの「SOMEDAY」の文字はWindowsとMacintoshに標準でインストールされているフォント「Impact」で再現できる。
デビューからここまでのアルバム3枚(「BACK TO THE STREET」、「Heart Beat」、「SOMEDAY」)が佐野元春の初期三部作として括られ、その世界観から「都会的」や「疾走感のある」といった佐野のパブリックイメージのひとつが形成されている。 ファンや評論家だけでなく佐野自身も「初期三部作」という表現を使って自らの足跡を語ることがある。
佐野はシングル「SOMEDAY」をアルバム「SOMEDAY」の11ヶ月前の1981年6月21日にリリースしているが、その時はまだブレイクしなかった。 佐野はシングルではなくアルバムで認知されたアーティストで、あえてシングルを上げるならNiagara Triangle Vol.2の「A面で恋をして」(1981年10月21日発売、オリコンチャート最高14位)をきっかけに有名になったアーティストである。
日本のソニーとオランダのフィリップスは共同でCD(コンパクトディスク)とCDプレーヤーを開発し、1982年10月1日にソニーが世界初のCD50タイトルを一斉に発売した。 レーベルはCBS/SONYが42タイトル、EPIC/SONYが8タイトルで、タイトルの多くはクラッシックと洋楽ポップスに割り当てられて、邦楽は1/3以下と少なかった。 そのうち、佐野元春の楽曲は、
と、3枚ものCDに収録されている。 デビューから2年もくすぶって、やっと1枚のアルバムをヒットさせたに過ぎない、まだ駆け出しと言える佐野だったが、ソニー系レーベルのアーティストだったことや、数多くの候補の中から世界初となるCDタイトルをどれにするかという選定作業が行われていたであろう頃に丁度ブレイクしたなどの幸運な巡り合わせにより、佐野はCD時代の幕開けを飾るアーティストのひとりになった。
ちなみに、世界初のCDのラインナップに単体で選ばれた日本人アーティストは、大滝詠一、NIAGARA TRIANGLE VOL.2、松田聖子(最年少20歳)、五輪真弓、山口百恵(この時すでに引退から2年)、キャンディーズ(この時すでに解散から4年)、渡辺貞夫、笠井紀美子、シャネルズ、佐野元春、一風堂の11組。 オムニバス「ニューミュージック・ベスト・ヒット」に収録されたアーティスト(浜田省吾など)を加えてもわずかに20組しかいない。
EPICの先見の明は確かなもので、EPIC所属の日本人アーティストに用意された3枠すべてに新しい才能を充てた結果、鈴木雅之、佐野元春、土屋昌巳らは40年近くを経て還暦を過ぎても一線で活躍している。
ただし、佐野自身はCDというメディアを高く評価していない。 CCCD問題でEpic Recordsを離脱した時には『CDというフォーマット自体、終息しつつあると僕は見てます。』と、CDに見切りを付けるような発言があったり、ラジオや雑誌のインタビューでは『記録メディアのヒエラルキーはアナログレコードが頂点でCDはその下』、『CDは音量を上げると耳が痛くなる』など、散々な批評を繰り返している(特にアナログレコードの優位性を説く場面で)。 それゆえか、世界初のCD50枚の中に自身のアルバムが選ばれたことについて自慢気に話したことはおそらくこれまでに無い。
アルバム「SOMEDAY」のヒットはただ佐野を有名にしたというだけでなく、所属レーベル「EPIC/SONY」のその後の方向性をも決定し、その隆盛は日本のロック史の中にひとつの潮流を作ることになった。 エピックはそれまで、フォークやテクノ、パンク、プログレ、演歌、アイドル歌謡なども擁する雑多な印象のレーベルであったが、アルバム「SOMEDAY」のヒット以降は佐野のフォロワーとも呼べる都会的で洗練されたポップロックアーティストを次々に輩出して80〜90年代に黄金時代を築く。 たとえば、佐野の初期作を手掛けたプロデューサーの小坂洋二は、大江千里(83年デビュー)、渡辺美里(85年)、岡村靖幸(86年)らを発掘している。
2003年に開催されたエピックレコード創立25周年記念イベント「LIVE EPIC 25」では佐野がトリを務めており、最後の曲「SOMEDAY」を出演者全員で歌って大団円とする演出だったことからも、佐野がレーベル関係者や所属アーティスト(かつての所属アーティストも含む)から格別の敬意を払われていたことが判る。
2002年にアルバム「SOMEDAY」の発売20周年を記念して、アルバムアウトテイクスを収めたボーナスディスク付きの「SOMEDAY Collector's Edition」がリリースされた。 佐野元春の公式サイトMWSにてアルバム特集が組まれ、1982年のオリジナル「SOMEDAY」の制作当時を振り返る、伊藤銀次・吉野金次(ミックスエンジニア)・小坂洋二(レーベルプロデューサー)のインタビュー記事が公開された。 インタビュアーは吉原聖洋。
2016年2月13日、佐野元春はデビュー35周年記念ツアー鹿児島公演の中で次のような鹿児島の思い出を語った。
1982年の某日、ツアーで鹿児島のホテルに滞在中の佐野は、アルバム「SOMEDAY」がチャート4位に入ったことを当時のマネージャーから電話で知らされた。 佐野は早速ロビーにバンドメンバーを集めてみんなで喜びを分かち合ったという。 そして、喜びのあまりに外へ出て、駐車してあった見知らぬ車のフロントガラスに指で「HAPPY」と書いたそうである。 車には桜島の火山灰が降り積もっていたとのこと。
ただし、1982年のツアーの記録を調べてみると、その年の鹿児島公演は4月11日で、アルバム「SOMEDAY」の発売は5月21日である。 実は、佐野が参加した大瀧詠一プロデュースのアルバム「Niagara Triangle Vol.2」が3月21日の発売で、それがチャート2位を記録している。 古い話なので佐野はそのことと混同してしまっている可能性がある。 いずれにしても、やっとヒットに恵まれた佐野がうれしくなって火山灰の積もった車に落書きしたという話は本当であろう。
なお、このエピソードはこれが初出ではなく、以前にもどこかで話したことがあるようだ。
タイトルチューンでもあり、このアルバムの勝負曲である「SOMEDAY」はアルバムA面の最後に入っている。
制作に関わった伊藤銀次は、「SOMEDAYの音がショボくなるよ」と、アナログ盤の内周付近に入れることに反対し佐野と揉めたそうだが、佐野は自分の頭の中にストーリーがあって、その通りに曲を並べたいと譲らなかったという。
アナログレコードはCAV(角速度一定)方式であるため、盤面の外周付近と内周付近では針のトレース量で最大2倍ほどの差があり、再生開始から時間が進むにつれて音質が低下していく。
佐野は完成したものを聴いて「やっぱり銀次の言う通り音が良くなかった」と言ったそうだ。
※出典:ネットラジオ「伊藤銀次のPOP FILE RETURNS」2016年12月9日配信(第172回)
余談だが、上で述べたようにアナログレコードは最外周が最も高音質で、針が中心の方へ移動するにつれて音質が悪くなっていく(記録領域が狭くなると細かい振動が記録しづらくなり高域周波数帯が減衰していくなどする)。 この音質の変化を克服するためにA面B面それぞれのトップにはテンポが速くて楽器が多い賑やかな曲(情報量が多い曲)を入れて、ラストにはゆったりとしたリズムで楽器が少ないバラード曲(情報量が少ない曲)を入れるというのがアナログレコードでアルバムが制作されていた時代のセオリーだった(そうすることで音質が一定に保たれているように聴こえる)。 佐野も1st「BACK TO THE STREET」と2nd「Heart Beat」ではおおむねセオリーを守っている(1st・2ndのプロデューサーは小坂洋二)。
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オリジナル・アルバム | 1980.04.21 BACK TO THE STREET | 1981.02.25 Heart Beat | 1982.05.21 SOMEDAY | 1984.05.21 VISITORS | 1986.12.01 Cafe Bohemia |
アルバム | 1980.04.21 BACK TO THE STREET | 1981.02.25 Heart Beat | 1982.05.21 SOMEDAY | 1983.04.21 No Damage 14のありふれたチャイム達 | 1984.05.21 VISITORS |
全作品 | 1982.03.21 NIAGARA TRIANGLE VOL.2 彼女はデリケート※シングル | 1982.04.21 Sugartime※先行シングル | 1982.05.21 SOMEDAY | 1982.08.25 Happy Man※シングル | 1982.11.21 スターダスト・キッズ※シングル |